「あんた、自分の鬼いないんでしょ?」
「なんでまだ鬼ヶ里にいるのよ。」
「調子に乗ってるの?」
いかにも可憐な見目の少女三人に囲まれながら、しくじった、と思った。
避けなければならない事態だった。いや、遅かれ早かれこうなることは分かってはいたが、放課後、階段の踊り場で三之助を見る六つの目は、あきらかに好意的には見えなかった。
この上の階は通常教室がないせいか、放課後では殆ど人が通らない。ここからでは時計が見えないから、正確な時間が分からない。委員会活動があるというのに。
ねぇ、と三之助を責める様な声は、少女のたちの見目に反して、強く荒い。
恐らく彼女たちにとっての今の三之助は、格好の餌食か、面白い玩具だ。知っている、と思う。
「鬼の花嫁ってね、選ばれた存在なの。」
知ってる?とわざとらしい猫撫で声で少女の内の一人が言う。
鬼の印を刻まれたせいで、人といても、鬼といても、蝶よ花よともてはやされて、終いには自分の意思とは無関係にこの鬼ヶ里につれてこられたということも忘れて、思いあがる、都合のいい性格。いると聞いたことがある。少なくないとも。そして、三之助は今目の前にそれを見ていた。そうして彼女たちは、自分より下の人間によって自分を確立する。
鬼の花嫁は選ばれた存在。特別な存在。それから逸しようとなんてして、鬼の花嫁でなければ誰も見向きもしないのに。今だってどうせ私たちが何しようと、助けてくれる鬼がいないんでしょう?それなのに、ねぇ、
「いっつも神崎君や富松君と一緒にいて、もしかして自分が一人の人間として魅力的とでも勘違いしちゃった?」
あ、まずいかも、と感じた。かっとした。関係のない友達のことまでとやかく言われたくない、そう思って、思った時には口を開いていた。
「何?」
言った自分の声が、明らかに低い。
「あんたたち、何がしたいの。」
多分今、目つきもよくない。少女のうちの誰かが、息を呑むのを冷静に聞いた。ばかみたい、ぼそりと呟いた声も、聞こえていたのだろう。三之助は酷く冷静で、それで、きれてた。
そして、昨日と同じ熱を、頬に感じていた。傷のある方の頬を、そのままぶたれた。あんまり驚きはしなかった。そのまま睨んだ。そのときに今まで三之助を逃がすまいとしていた三人の僅かな動揺を見つけて、三之助はそのまま階下へ走って逃げた。



とりあえず、荷物を取りに行かなくては、と行った自分の教室で、自分の足音ばかりが響くので、無性に情けなくなった。そう言えば、彼女たちは追ってこない。少し頭を冷やそう。そう思って、自分の席に座って、机に突っ伏した。
「三之助、」
その途端に、声が掛けられて、三之助ははっとして教室の入り口を見た。
「……滝夜叉丸。」
「この私を呼び捨てにするか。」
いつも言われる。同学年ではないか、と三之助は思うのだが、滝夜叉丸の言い分では、三之助よりりもずっと年上で、かつ、この優秀な私を、とながく続くのだが、終わりまで全部を聞いたことはない。滝夜叉丸は、教室に入ってきて、三之助の席まで歩きながら言葉を繋げる。
「さて、お前、みごとに委員会には遅刻したわけだが。」
「あー、すみま……」
「さっきの女子の中に傷つけたくない友達はいるか?」
「……はい?」
すみませんでした、と謝ろうとして、遮った言葉が理解できず、間抜けな返し方をした。
三之助の前まで来た滝夜叉丸に、いるか?と重ねて訊かれたので、いないですけど、と答えた。そうか、と滝夜叉丸は言って、窓の外を見て溜息を吐いた。
「さすがに、人間の寿命ほど生きている鬼だって、三翼の鬼の怒りなんて触れたら泣きたくなる。」
「あの、さっきからワケが分からないんですが。」
尋ねた後、滝夜叉丸から返ってきた答えに驚いた。
委員会の時間になっても来なかった三之助を、探していた小平太と滝夜叉丸が、目撃したということだった(因みに探した理由として、滝夜叉丸は迷子になっているだろうと思ったと言っていたが、それはさすがに要らぬ心配ではないかと三之助は思った。)。向かい側の校舎の窓から、姿が見えて、それで三之助のいた階段の近くまで来たときに、乾いた音が響いて、それから三之助の走り去るのを見たのだという。最悪だ、と思った。一番知られたくなかった相手に見られてしまった。
「お前のことは、クラスメイトの一人から聞いたぞ。何で女子っていうのはこうも噂のまわるのが早いんだか。」
「七松、先輩は?」
「知らん。ただ、私の勘があっていればだが、」
そう言った時に、廊下から聞こえた小さな足音が、だんだんと大きくなるのを聞いて、滝夜叉丸はまた教室の出入り口へと向かった。
「お前、自分でしっかり言うべきだろうな。ただ、私はいつかこうなるんじゃないかと思っていた。」
そのまま教室から出ていった。自惚れなところはあるが、滝夜叉丸はなんだかんだで面倒見のいい人だと、三之助は認識していた。



足音の主は、七松小平太その人であった。
三之助を見るなり無言で近づいてきて、三之助は何かを言わなくてはと思ったのだが、言葉が思いつく前に、小平太の指が三之助の傷に触れた。
「三之助。なにがあったの。」
明らかに、機嫌が悪いと知れた。
小平太は、感情が表に出るタイプだ。言葉、表情、声には表れないのに纏う空気が変わる。構えた。
みっともないところを見られてしまった。委員会にも遅刻して。滝夜叉丸の台詞から推測するに、あの後彼女たちが追ってこなかったのも、小平太のおかげなのだろう。彼は、三之助を、後輩として心配してくれたに違いない。そうして怒っているのだろう。彼もまた、後輩の面倒見もよく、暴君なところはあるが優しい人だと知っていた。だからこそ自分が情けなくなる。
―――――それでもいいと思ったのはさ、
お昼時の、孫兵の言葉が思い起こされた。
―――――三之助がそれだけ七松先輩を慕ってるってことでしょう?
突き付けられた白い指に、三之助はただ一つこくりと頷くことしかできなかった。作兵衛には溜息を吐かれ、左門にさえ、ばかだよなぁ、と笑われた。それでも三之助はこうすることでしか、小平太を想う自分を肯定することができなかった。
鬼の中の、上から数えて四番目に入る、三翼である小平太。寿命そのものが異なるとはいえ、自分よりもずっと年上で、見合わないことも承知はしていた。
それでも、その小平太の指が頬に触れたとき、三之助は思わず息をとめた。
あぁ、全くもって、
(この人は俺を惑わせる、)
「たいしたことじゃ、なくて、」
「いいから、話してごらん、怒らないから。」
ふと、小平太の纏う空気が柔らかくなって、その代わりにその目が確実に三之助をとらえたのを感じた。こうなってしまえば、この人には嘘も誤魔化しも効かない気がして、三之助は観念して口を開く。
三之助が事の成り行きを話す間、小平太は相槌も打たずに沈黙を貫いた。三之助は、小平太に話すには自分がみっともないことをしたとも思っていたので、大まかにしか話さないつもりでいたのに、小平太が何も言わないものだから、その沈黙が怖くて居た堪れなくて、結局あらかたのことは話してしまった。怒らないから、と小平太は言ったが、それでも、呆れてはいないだろうか、話しながら思った。今は、この人に見限られることが一番怖い。
だから、全てを話し終えた途端に、小平太に抱きしめられたとき、三之助は脳内の処理が追いつかなくて、10秒ほど固まった。
「な・・・、ななまつ、せんぱい・・・?」
「三之助、」
憧れた声が今までのどの瞬間よりも近い。なんだか情けない気持ちになって、それから、心臓がうるさいくらいになり始めた。
「お願い、私に、守られて。」
私の花嫁じゃだめか?
訊いておきながら、力強い声に、そして三之助は僅かに泣いた。
その後、頬の傷は、小平太が保健室から貰って来てくれた絆創膏が貼られた。
教室に差し込む夕陽が心にも体にもすうと染みこんでいくようだと思った。委員会は、大した仕事があったわけではないからいいと、小平太は言って(その大したことのない仕事は滝夜叉丸に押し付けたとも言った。)、帰り際にされたくちづけに、三之助は夢みたいだともう一度泣いた。





(多分滝も泣きたい。)