(習作)
「立花先輩って、右と左とどちらが好きです?」
夕陽も沈んだ。西の空の淵が碧くて、喜八郎の問いかけは凛とした夜気に馴染んで徐々に冷えながらも仙蔵の耳に届く。
「どういう意味だ?」
それなのに仙蔵の声は、その空気に冷えることなく真直ぐに喜八郎の耳に届く事実を、確かに感じていた。錯覚だなんて、言われなくても分かっているが。それでも。
「そのままの意味です。手でも足でも道でも、なんでもいいんですけど。」
「好き嫌いで判断したことはないが。」
「そうですか。」
相槌を打つ声が、自分でも驚くほど乾いている。
つまらなそうだと思われてるに違いない。なんとなくわかる。分かるけれども、喜八郎は仙蔵が分からない。
「それでは、赤と青は?」
「……赤だな。」
「よかった。先輩には海原よりも椿の花の方がよく似合います。」
喜八郎は、真直ぐに仙蔵を見ることが出来ない。
ただ繰り返し思考する。この人は何を想って生きているのだろう。何を見ているのだろう。この人にとって価値のあるものは何なのだろうか。自分は、仙蔵にとって、価値のある存在なのだろうか。
手持無沙汰にくるくると自分の髪を巻いては解いた喜八郎の指先は、思考を巡らす内にいつの間にか髪を離れ、ようやく顔を見せた一番星にむかってくるくると回す。蜻蛉を捕まえるように。
「夕焼けと暁なら?」
「暁を、」
「おやまあ、夕焼けとおっしゃるかと思ったのですが。」
どうやら予想が外れてしまったようで。喜八郎は言いながら、自分の指先を見る。
仙蔵もそのくるくると回る指の、その先の一番星を見ているのを喜八郎は指先に感じて少しだけ安堵する。
見ていてほしい。そのまま、遠い遠い意味とはかけ離れた光を。
そうして喜八郎は、仙蔵に自分を見てほしくはなかったし、敢えて仙蔵からも視線を外した。
「私の可愛い喜八郎、お前は何を知りたがっている?」
諭すようにゆっくりと、しかし真直ぐに耳を打つ声に、喜八郎は返事をしない。
一番星にむかって伸ばした手が疲れはじめたが、それでも腕を下ろしたら仙蔵が自分を見てしまうのではないかと一番星を指し示し続ける。
「私、」
自分では自分を見ることができない。
仙蔵が喜八郎を見るとき、それは仙蔵の生きていく記憶の中で最も喜八郎が共有できない景色である。
喜八郎は、仙蔵を心底恋い慕っていた。
認識してほしかった。喜八郎を。そうして自分に意味をつけてほしかったし、仙蔵の尺度で価値をつけてほしかった。
それなのに、仙蔵の視界に自分がいるその光景を、ひっそりと喜八郎は畏れた。
「私、」
言葉を選べない。
仙蔵の為に紡ぐ言葉を、持ち合わせていないことを喜八郎は恥じた。
それでも、自分の為の言葉だけで、どうにかして私のほしいものを伝えてみたかった。自分は、それをくれてやるほどには価値があるものでないかもしれない。もう、そう考えることすら億劫でもあった。
全てを知りたい。そう思った瞬間、自分の慕情がいかに簡単なものかを喜八郎は認識する。
「私、貴方の価値観に融解してしまいたい、だけなのです、。」
なにより愚直な愛の言葉