「そんで、お前はあいつに宣戦布告だけしてこっち来たのか?」
「そうだが?」
腕を組んで毅然として笑う仙蔵に、留三郎は呆れた視線を寄越す。
わざわざ文次郎が思いつくだろう通りに、素直に執行委員室に訪れる必要もないだろうと言えば、仙蔵は、馬鹿め、とどこが楽しげな声を出した。
「そんなことは先刻承知だ。」
仙蔵からしてみれば、文次郎は自分がここにくることを承知で、仙蔵は文次郎が承知していることを承知で、更に言えば仙蔵が承知していることも文次郎は承知だ。
「ややこしいわ!」
満足そうな仙蔵を見て、そういえばこの人はよく笑う人間なのだと知った。
鬼の花嫁は、その身に刻まれた刻印故に、知らず人間の異性を惑わせる。強い鬼のそれなら尚の事。
その花嫁が16になり鬼ヶ里に迎えられるまで、影ながら守るのが、庇護翼の一等の仕事である。
あるが、その16年見てきた彼女よりも、ずっと、この2年間の方がよく笑う。良い傾向と言えば間違いなくそうなのだろうが、おかげで随分といい性格をしていることまで露見している。箱入りのお嬢様がどこで何の影響を受けたというのか。
その、仙蔵の変化を伊作が一番肯定していた。
いいことじゃない、と笑う様子を見るに、伊作は何か面倒くさい思考をひた隠しにしているのだろうという印象を留三郎に与えた。本心からであることには違いないのだが、冗談めかして言った留三郎に、そこで苦笑ではなく本当に微笑み返すのか、と思った。
原因と言えばそれだけで、それを突き詰めれば、ただの勘でしかないのだが。
単純なお人好しの様で、幾分か複雑な性格の持ち主だ。
「…そーいや、お前も面倒くさい。」
「は?」
それ、と留三郎は仙蔵の手元を指さす。
この部屋にきたときに持ってきて、机上に放った一冊のやけに古めかしく厚い本に再度手を伸ばしていた仙蔵が、僅か動きを止めてから徐にそれを掴んだ。
「興味がある、と言ったら、親切な図書委員長が参考資料付きで貸してくれたぞ。」
「鬼の歴史に?」
「強いに越したことはないに決まってる。」
そう言えば、と彼女をこの里に連れてきた日に、彼女が口惜しいと言っていたことを思い出した。
なるほど、ただでは起きあがらないか、と留三郎は鼻を鳴らす。無知を恥じたか、それとも。知らないけれど、仙蔵がこのしきたりだらけの鬼の社会で生きていくのに、とそう決めたのだろう。
以前16年ではなく、ここ2年で知った仙蔵らしいと言えば仙蔵らしいのだが、ただで起きればいいのに、と思わないでもない。伸ばされた手を、そのまま握って、それで立ち上がればいいだろうに。一度座れば、立ち上がる前に落ちている小枝を武器として掴む。
「まぁ、いいけどよ。あんまりお前が強くなりすぎると、あれの顔が立たなくなるぞ。俺的にゃ面白いが。」
仙蔵は、ちょっとだけ驚いた顔をした。
それで、徐に溜息を吐いて、少しだけ口を開いてなにか言おうとしたようだが、結局なにも言わずに口を閉ざした。
結局、鬼頭の登場までには1時間ほどかかった。
「仙蔵、おまえ、」
「なんだ、思ったより遅かったじゃないか。」
「こっちにもいろいろとあんだよ。」
「どーせ名前もよく知らん鬼に喧嘩でも売られたんじゃねーのか?」
にやにやとしながら留三郎が言うと、文次郎は思い切り気に食わなさそうに顔を顰めた。
「反感買うな、鬼頭。」
「ガラ悪いからな、顔が。」
「お前らな…!」
まあ、ある程度恨まれるのもそれはそれで鬼頭の仕事の一つの様なものだと、留三郎は知っている。誰が鬼頭になったって反鬼頭派は必ず湧くものだ。
文次郎に肩入れなど決してしていない留三郎ですら、喧嘩を売られることもある。
なにも正直に片っ端から買うこともないのだが。
「なんつか、お前、本当単純でいいな。」
「どういう意味だ!」
文次郎の声が響く。
自分から喧嘩を売っておいて気が変わったのか、仙蔵は帰り仕度をはじめている。
文次郎は留三郎を睨み、仙蔵を睨み、溜息をついた。
それに覆いかぶせるように大きな溜息をついたのは、留三郎である。