「ふざけるな!」
思わず、ひっぱたいた。
声を荒げたことも人をひっぱたいたことも、恐らく初めてで、仙蔵自身も戸惑った。掌がじんわりと熱を持って痛い。
更にはたかれた相手は更に驚いているらしく、見開いた目で仙蔵を見た。
なおも掴みかかろうとする仙蔵を肩に手を置くことでやんわりと制したのは、中在家長次という、無口で長身な鬼の男であった。




仙蔵の式の支度をした女性たちの言っていた通り、その式自体はものの十分ほどで終わった。祭主によって仙蔵がその会場に通された時には、すでに鬼頭は上座に座っており、テレビで見たことのある教授だのなんだのが、並んで座っていた。彼らはみな、鬼であると聞いた。
鬼頭の隣に座った後は、説明を受けた通りに、杯が寄越されて、その半分を鬼頭が、もう半分を仙蔵が飲んだ。そこまでしたところで、鬼頭が退室しても構わないと言うので、その重苦しい雰囲気に耐えかね、そうそうに退室をしたときに、会場の外で待っており、仙蔵の自宅まで案内してくれたのが、中在家長次、仙蔵の庇護翼だという男である。
仙蔵の自宅とは、即ち鬼頭の自宅でもあり、式を行った会場と同じ建物の、一つ下の階を占めているものだった。どうやらこの建物は、主に住居スペースとして機能しているらしく、階ごとに異なる人物が住んでいるらしい。
リビングに通され、しばらくすれば文次郎が戻る、と長次が言って、あたたかいお茶を一杯出してくれたので、ありがたく頂き、特に会話をするわけでもなく時間が過ぎていった。後に、家主が帰ってきた。
分からなければ、鬼頭に訊けばよい、と式の前に言われたので、この際に全てを問いただしてやろうと、口を開いたのは、帰宅した文次郎と顔を合わせてほんの五秒ほどのことだった。
「説明してもらえませんか?」
「留三郎と小平太からは、何を聞いた?」
「・・・鬼という一族がいることと、彼らが女を産めないので人間から花嫁を連れてくることと、ここが鬼の棲む里だということ。それから、私が貴方の花嫁ということ。」
仙蔵がいま自分が分かっていることを口にすると、文次郎は小さく肩をすくめ、それから長次を見遣った。
「やっぱり、小平太より、お前が行った方がよかったんじゃないか?説明事は、一番むいているんだろう。」
「・・・・あいつには、その代わりの式場準備と客人の相手こそむいていないだろう。」
「それもそうか。」
文次郎は、顎に手をかけ、数秒思案し、それから徐に口を開いた。
「ここ、鬼ヶ里は、鬼の一族の住む場所だ。と、いっても、実際にはここ以外で、人間に紛れて暮らしている鬼なぞ、ごまんといるから、ここが集落というわけじゃない。ただ、ここには高校がある。それが大きいんだ。」
「鬼ヶ里高校、」
ここに来た時に見た。見えた、やたらと大きい校舎に続くのだろう門の石柱に彫ってあった、鬼ヶ里高校、の文字。
「私立鬼ヶ里高等学校。ここに来る途中に見えただろう?あそこは、十六になって連れてこられた花嫁が入学する学校だ。」
「貴女も、そこに通うことになっている。連れてこられたばかりの花嫁が集まるところだから、そこが一番安全だ。」
「・・・安全というと?」
文次郎に補足した長次の言葉に仙蔵が首をかしげる。
安全、ならば鬼ヶ里の外は危険だとでもいうのか。
「鬼の花嫁というのは、それだけで、無意識でも男を誘惑する色香を持っているんだよ。だから、鬼ヶ里ならば鬼による監視があるからその分安全で、因みに、花嫁が十六になる以前に花嫁を護る役にあたっているのが、庇護翼だ。」
その庇護翼というのは、鬼が従えている自分よりも格下の鬼のことらしい。鬼頭は三人の鬼を、その下は二人、さらにその下は一人、一番下層の鬼は庇護翼はなく自らの手で護るのだという。
そして、文次郎の庇護翼、即ち、仙蔵を護るためにつけられた庇護翼が、食満留三郎、七松小平太、中在家長次の三人ということだそうだ。
「それと、鬼ヶ里は自由恋愛だ。恋愛と結婚は別物だ。もっとも、鬼と花嫁が愛し合うのが一番問題もなく収まるんだが。だから、」
文次郎は仙蔵を真直ぐに見た。
「だから、別に、俺を愛せとは言わない。」
その言葉は文字通り自由を与える言葉だったが、仙蔵にしてみれば、いっそ突き放されるような言葉でもあった。誰の所為でここまで来ることになったのか。帰りたい、と思ったが、今家に帰ったところで両親にむかって微笑む自信なんてなかった。いっそ愛せと言われた方がまだ、よかった、とすら思った。
そう、思った瞬間には、口よりはやく手が動いていた。


「お前、」
まずい、と仙蔵は正直に思った。まずい、泣いてしまいそうだ、と。
自分が咄嗟にとった行動にどうしてよいか分からずに戸惑っていると、呼びかける言葉が文次郎の口からこぼれた。
「私がここに連れてこられた理由がお前なのだろう?どうしてお前が突き放す。だったら、だったら私にどうしろと?」
文次郎が次に言葉を紡ぐ前に、と、早口に言葉をついだ。文次郎に会ったときに覚えた、安堵感、あれは、今日で唯一得た不安と恐怖以外の感情だったわけだが、それを否定されたような気分だった。それに突き放されたような気分だった。
「ここに頼れる人物なんていないのに。」
あ、と思った時には終に頬に濡れる感覚があった。
文次郎が手を上げるのをみて、瞬間、ぶたれるか、とも思ったが、それが意に反して頭上に置かれ、仙蔵はゆっくりと、文次郎の瞳をみた。
「・・・・文次郎」
諭すようにゆっくりと、長次が彼の名を呼んだ。
その瞬間、なにやら玄関の方で扉の開く音がした。次いで、複数の話声。その声は足音を伴って確実に此方へ向かってくる。結局、文次郎の手の意図も知れぬままに、手は下ろされ、三人の六つの瞳が声の方向を見た。
「文次郎、なんか適当に食べ物買ってきたけど・・・・って、え、何今僕すごい空気読めてない?」
だんだんと小さくなった声とともにはいってきたのは、栗色の癖毛の人物だった。その後ろには小平太と留三郎もおり、各人手には白いポリ袋をぶら下げている。
「伊作、」
「ど、どーもー、多分まだみんな何も食べてないかなァ、って思って食べ物とか酒とかジュースとか買って来たんだけど・・・・・・この状況は?」
長次に伊作、と呼ばれた人物は、苦笑いをしながらそのポリ袋を示してみせた。
「ちょっと!なんで文次郎仙ちゃん泣かしてるの!」
「お前、ずっと思ってたけど本当にろくでなしだよな。」
後ろから小平太と留三郎が声を上げた。
ややこしいときに、と文次郎が頭を押さえた。