車から降りて十分ほど歩いただろうか。
山道とはいえど、緩やかな坂にそって整備された広い道であったが、あたりは鬱蒼と樹木が茂り、仙蔵は黙ってただ二人について歩いていた。
そうして着いたところは四階建ての大きなレンガ造りの建物だった。
「お」
建物の入口に一人の男が立っているのを認めて小平太が声を上げた。
「なんだかんだでマメだよなぁ」
「堅物め、なぁ、鬼頭。」
鬼頭、と呼ばれて彼が此方を見た。じ、と、では彼が、と仙蔵は車内でされた説明を脳内でなぞる。怖い、と感じた。鬼頭と呼ばれるその所以、圧倒的な存在感は、会えば分かると言われた。留三郎、小平太を初めてみたときにも、竦むような威圧を感じたのだが、なるほど、鬼の頂点と呼ばれるその男のその視線に、威圧が集約しているかのようだった。
鬼頭は仙蔵の前に歩み寄りその場で跪いた。
「木籐文次郎と言う。」
「貴方が、」
「立花仙蔵、よく、鬼ヶ里に来てくれた。」
現在の鬼頭、木籐文次郎。今までされた説明によれば、仙蔵の伴侶となる男である。
そうして鬼頭は跪いたままでいる。
その姿を見て、一度深く息をすると、先程感じた恐怖が嘘みたいに消えた。安堵のような感情がはっと広がって、それに疑問を抱いてどうしてよいのか分からず、かといって目の前の相手にかける言葉も見当たらないと、ただ戸惑って見ていた。
「文次郎、」
小平太が名を呼んだ。
「鬼頭!」
と、同時に女性の高い声が響く。
「鬼頭ともあろう方がそう簡単に頭をお下げにならないでください!」
声とともに建物から出てきたのは、四十後半くらいだろうか、美しい女性。落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる、綺麗な年齢の重ね方をした女性だった。
「や、文次郎はそんくらいすべきだよなァ、」
留三郎が揶揄するように喉元でくつくつと笑った。
その笑いに漸く文次郎が顔を上げる。そうしてる間に傾いた夕陽の光が真直ぐに瞳に反射されて、その瞳の色が束の間黄金色に見えた。黄金色の瞳かと疑いもせず瞬時、信じた。瞼を閉じるときに影になる瞳が本来の黒を示したときに、なんだ、と惜しく思った。
「十六年、貴女を待っていた。」
「―――そうか。」
真摯な視線が口をきいたとき仙蔵は自分の唇が笑みの形をとったことを確かに感じた。
出処の分からない安堵を感じていた。その間にまた傾く日がゆっくりと空気を冷やしていくのを知っていた。
あの、とタイミングを図るように女性が徐に口を開いた。
「鬼頭の花嫁の式の準備を致します。」
「式?」
「ええ、花嫁はまず先に結婚式を行うしきたりで。こちらへ。」
仙蔵の肩に女性の手が置かれ、そのまま導かれるままに建物の入口へと向かう。



「よかった、」
仙蔵の背中を見送り、その重々しい扉が閉まったのを確認して、小平太が笑った。
「仙ちゃん、笑ったね。」
「まぁ、そりゃあ、結局はこいつの傍が一番安全なことを遺伝子が知ってんだ。」
しっかりしろよ鬼頭、と留三郎が横目で文次郎を見遣る。うるせえ、と一言返したその手は無意識に頭をかく。照れ隠しであることを、二人は長年の付き合いより知っていた。
花嫁が初めて鬼ヶ里に来る際は、不安ばかりであることも知っているが、それ以上に、この鬼ヶ里が花嫁を護るために作られたシステムに充足していて、なにより鬼頭のその力、影響力もよく知っているところであるので、それを見守る二人には、何も心配は無かった。寧ろ、ここに仙蔵を連れてくることによって、漸く二人は大きな仕事を終えたのだ。
「小平太、留三郎、ご苦労だった。」
「まぁ、それはいいけど、長次は?」
「今はまだ忙しいだろう。」
「ふーん。」
太陽の光の届かなくなる東の空の端が碧に染まる。


     *
あの女性に連れて行かれ、レンガ造りの建物に入った途端、年齢も様々な女たちが、仙蔵に群がっては、生き生きとした表情で各々にしゃべり出す。和服姿の彼女らは、みな揃って顔立ちがよく、薄い化粧に飾られて華のように笑っていた。
「まぁ、これが鬼頭の!さすがにお美しいわ。」
「式まで少し時間が押しているわ。早く準備を――お湯沸いている?」
「もちろんよ。ねぇ、この顔立ちでしたらやっぱり、お飾り変えた方がよくない?」
「まず、花嫁の身体を清めないと。その間に相談すればいいでしょう?」
「あ、私、お茶の用意してきますね。」
口を開く隙もなく、やいやいと騒ぐ手が仙蔵を引く。
風呂場へ行き、全裸になり、湯を浴び、和服に着替え、髪を乾かし、そのあと正式な白無垢に着替え化粧を施すところまで、全てが彼女らによって成されるがままで、やっと仙蔵が口を開くことができたときには、彼女たちは仕事をやりきった達成感に満ちた笑顔で時間を確認していた。
「たまにこの準備の途中で泣いたり暴れたりする花嫁もいるんだけど、さすが、三翼ね。花嫁の説得まで完璧ね。」
「私には、まだここが何なのか、よく分からないのですが。」
「あら、庇護翼の方からの説明を受けたでしょう?」
「庇護翼・・・・」
「そう、先程まで一緒にいた、食満留三郎さんと、七松小平太さん。本当はもう一人、中在家長次さんがいるのだけど、式場準備を仕切って下さっているから、まだ会ってはいないわね。」
聞いた限りでも、鬼というのは複雑なシステムによって成り立つ一族であるらしい。
更に詳細を聞こうとすると、相手の女性の腕時計のアラームが高くなり、さえぎられてしまう。
「分からないことは、全て鬼頭に訊けばいいわ。その胸元の華を誇りに思いなさい。」
そうしてまた、華の顔で笑う。
胸元にある、華の形をした痣は、鬼の花嫁である証だと、湯浴みの時に女たちの一人が言っていたのを聞いた。鬼の花嫁である証で、身体ある限り、決して消えることはないのだと。
鬼頭。口の中でその言葉を転がした。最初こそ怖いと感じたものの、すぐに安堵を感じた存在だった。その安堵の理由がやはり、分からないままだった。
「式は十分もあれば終るわ。単なるお披露目だから。杯のお酒を、半分を鬼頭が、半分を貴女が飲めば、はい、お終い。」
さ、時間よ、と女性が背中を軽く押す。
歩きだしたが、慣れない重みにそれすら戸惑った。