白い冬の到来である。
三郎は、長屋の廊下に寝ころんで、だらりと腕を外へと垂らしたまま、嘘みたいに高い空をただ何とはなしに眺めていた。しん、と指の先が少しずつ感覚を失くしていくのを知覚していた。けれど、それに対してなんらかのアクションをとるわけでもない。そのまま三郎は、目を閉じて触覚と聴覚に意識を専念してみたり、また目を開いてきゅう、と高く伸びる空を見ていた。
「うわ、」
声が降ってきた。三郎はその主を見定めるために視界を動かそうとしたが、それをするより早く、相手の方が三郎を覗きこんだ。
「生きてる?」
随分と不躾な質問である。
自分を覗きこむ人懐っこい丸い瞳。癖のある茶髪がだらりと垂れる。
勘右衛門だ、と三郎は思う。当たり前だが、知っている。働いているのは先程から変わらない視覚と聴覚と触覚。だというのに、何故だか急に引き上げられた。何処へ、と自問する先の答は知らない。
「……割と。」
「なにそれ。」
勘右衛門はそれだけ言って、三郎の頭の隣に腰をかけ、足を垂らして揺らした。
寒くないの?と勘右衛門は問い、寒いよ、と三郎が答えると、冬だもんねぇ、と呑気に彼は笑った。人のことは言えないが、彼とて決して温かい恰好をしているわけではない。寒くないのか。思いはしたが、まあ、寒いに決まってるだろうと見当をつける。
白いな、と三郎は思う。決して雪が降っているわけでも積もっているわけでもなく、空とて至って整然と青い顔をしてこちらを見下ろしている。ただ、空気が違うのだ。冬というのは白い。不透明な空間に、いくつもいくつも、いろんなものを隠して、それでもとくとくと音を立てて生き物は暖をとる。三郎はそれを好んだ。なんだか、それを愛おしいと漠然と思った。
「だったら、部屋に戻ってあったまればいいのに。」
主張した三郎に対して、勘右衛門はそう言って笑った。
「なんと浅はかな!」
三郎は、舞台の台詞のようにわざとらしく、仰々しく言い、それから、至っていつも通りのトーンでぽつぽつと会話を続ける。
「だって、私が今こうしてここにいなければ通りかかった勘右衛門と二人並ぶこともなかったということになるじゃないか。一日の出会いが恐らく一刻は遅れただろうね。」
並んでいるというにはちぐはぐな体勢で、三郎はやはり空を見ていたし、勘右衛門はどこを見ているのか、三郎には分からないが、多分、そのまま前方を見ている。視線の先にはまるで違う、しかし同じ冬の姿だ。白い。三郎の指先はとっくに悴んでいる。はぁー、はぁー、と手を温めている勘右衛門の息の音が聞こえた。
「御都合主義だね、鉢屋。」
「なんとでも。」
三郎は笑い、思い出したように垂らしていた手を真上へ挙げた。その手を勘右衛門が取るだろうということは、まさに予期していただけのことである。
「……思ってたよりあったかくなかった。」
「そりゃ、こうして外にいるわけだし。」
「冬だもんな。」
そこで三郎は、悪戯をひらめいた時の笑みを口元に浮かべ、漸く視界を空から勘右衛門に移し、自分の手を握っている勘右衛門の手もいっしょくたにして、彼の首元をめがける。さすがに温かい。それは予想通りであるが、予想に反して勘右衛門は、彼もまた漸く三郎を見てにこにこと微笑むだけだった。
「俺、平気なんだよね!」
「つまらんやつめ……!」
しばらくして、三郎の指先にある程度の感覚が戻ってきた頃、勘右衛門は三郎の手を放して立ち上がり、今度はそうして三郎に手を差し伸べた。三郎を起こすためである。
そして平然と、彼は言う。
「おはよう、三郎。何してたの?」
なんとも今更なことである。



白い日、