「立花先輩、どうしましょう、私は、」
彼は帰りたがっていた。
彼は戻りたがっていた。
しかし決して戻ることが出来ないことは、彼をも含めた皆が分かっていた。彼は生まれたことを悔いていた。自分だけでは決して完結しない世界まで歩いてきてしまったことを、酷く悔いていた。私は、誰にも悟られないように、けれど必死になって、彼を止めた。捨てきれなかった幻想を供養してあげて欲しかった。私には彼が必要だった。彼は泣いていた。堪え難かったわけでも、痛かったわけでも、切なかったわけでも、ない。彼は悲しんではいなかった。彼はただもっと純粋な気持ちで泣いていた。いわば、郷愁に近いような感情だった。私はただ彼を見守っていた。憂えているわけではない彼に、泣く必要もないなどとは、言えるはずもなかった。もっと、見てほしいものがたくさんあった。彼の感情を肯定などしてあげられるはずもなかった。祈るようにただ彼を見守っていたのだった。どうしてこんなことになってしまったのだろうなどと、今更考えるだけ無駄だった。彼そのものでもある彼の感情が、彼を蝕んでいくようで、私は怖かったのだ。ただ、全てを白紙に戻すような彼の祈りが、通じないことを、願っていた。いや、彼の祈りが叶わないことを知っていたのに。それなのに、不安で仕方なかった。
彼は帰りたがっていた。
彼は戻りたがっていた。
彼は生まれたことを悔いていた。それなのにそれなのに、彼は決して死のうだなんて暗愚な感情を持て余していたわけではなかった(それほど安直なものだったら、私にもまだ術はあったと言えよう)。彼の望みはあくまでも、原点回帰だったのだ。悔やむべきことが多かった。一つ一つを、問い質してみたかった。等閑。罵声ならば、まだ受け入れた、のに。愛していると、確かに口にしたのなら、私は彼にとってまだ、他者と異なる意味を持った生き物になっていくようで怯えていた。
「どうしましょう、私、私、生まれてしまっているんです。」
「知っている、知っているよ、そんなことは。」



ピーターパン・シンドローム