三郎は森の茂みに潜んでいた。
森の先には今から忍び込まんとしている城が見える。
日はとっくに暮れていて、あたりは暗い。月がにたりと笑っているかのように細い下弦の月だ。風は流れていて、木の葉が音を立てる。
忍ぶに好都合だ。
しかしそのとき、物音に気付いて三郎はそれを探ろうと耳をすませた。
常人にはおおよそ違いなど分からないだろうが、風によって鳴る木の葉の音に紛れて、獣の動くことによって鳴る音が緻密に混じる。
獣。
こんなに足音を綺麗に紛れさせられる獣など、そうそういるものではない。獣だ。それもよく、手なづけられた。
気配を懸命に探って数を数える。獣が六。獣に限りなく近い生き物が、一。
三郎は口角を上げる。近づいてくる気配に殺気は無い。賢い獣だ。これは、人に好まれそうな獣である。利口で静か。そう、忍なんていう人種が好みそう、な。
「・・・・ずるいよね、ハチは。人じゃないもの使えてさァ、」
「何だよ、お前なんて、獣よかよっぽど恐ろしくて利用しやすい生き物にとっかえひっかえ化けるくせに。」
姿は見えない。が、上方から聞きなれた、しかし久しい声が降ってきた。いよいよ三郎は面白いと感じる。
「うん、そう、」
羨ましい?とわざとらしく尋ねてみると、まさか!と一つ鼻で笑われた。
森の先にある城を見ながら、これからの活動のシュミレーションをした。
八左ヱ門の姿は見えぬので、何色の装束を着ているのかも分からない。さて、どこの城の使い物なのやら。得体のしれないものに、正体のしれないものに人間が恐怖を覚えるというのなら、正体はしれているが、得体のしれないこの男はどうだろうか。三郎はくつくつと喉を鳴らす。
同様に、三郎の姿を八左ヱ門が見ることも叶わない。三郎は八左ヱ門も笑っていることを、僅かに聞こえる呼吸で知る。知りすぎている呼吸だ。八左ヱ門もそれを承知で呼吸だけで笑っていることを伝えてくるのだから、器用な男め。
そうして自分の知る限り、忍びという生き物は、そんないらん嫌みばかりを器用に使う。
「ね〜ぇ、おにいさん?どっから来たの?」
「うっわ。冗談でも今のちょっと引く。」
わざと媚びるような間延びした声で出した三郎に、八左ヱ門冷たく言い放つ。が、僅かに声に笑いが混じる。
「おにーさんは、少なくとも今北西に見えているその君が忍ぼうとしている城からじゃあ、ないよ。」
「んなこた知ってるっつの。」
「何だよ、謀反かも知れないだろ。」
「忍一人で?」
「んな不毛なことすっかよ。」
「だろうね。」
だから、どこから、と聞いたのに。
三郎自身と同じように、気配を探りながら忍ぶ奴が、城を護るもののはずがない。八左ヱ門のそれは、忍び込もうとしている者のそれだ。
最初こそお互い意図を探ろうとしたものの、中途半端に見知った者ならばともかく、二人とも気を許してきた仲間でもあるだけに、何もつかめない。不毛なことだと、三郎は息を吐く。お互いに知りすぎている。相手がどれほど、少しの油断が命取りになるほどの実力をもっているか、を。
三郎は純粋に楽しくなる。
昔からそうだ。八左ヱ門とは純粋に競いたくなる。心拍数が心なしか増えていくのを宥める。
「やだなァ、ハチ。やりづらい。」
「思ってもねェこと言うなよ。」
「分かる?」
「そりゃな・・・・だって、」
くく、と喉元だけで笑う音が、聞こえた。
あーあ。と三郎は思う。
結局は三郎も八左ヱ門も同じであったのだ。
「あー、はいはい。ハチ、相当性質悪いよな。」
揶揄するよう三郎がに笑う。
楽しい、と感じていた。シンプルな言葉で表すのが一番、適している、そんな感情。
「お前が言うかよ。」
「どーも。・・・情報のひとつだってやりたくないんだけどね、俺。」
「俺もさ。さァて、どっちが勝つかな。」
八左ヱ門のその言葉をきっかけに、一匹の獣が駆けだした。



散。




月笑い