月も風もない夜のことだった。


「私の命は、お前のためにはないよ。」
出会ってしまった、と仙蔵はかつての級友との再会を内心悔いていた。その相手、潮江文次郎は、ずっと会いたいと心底思い続けてきた相手であるのにも拘わらず、だ。偶然だった。偶然森のはずれで出会ってしまった。しかし、敵として会うわけではなかったことには安堵する、が。
もう戻れない昔に恋い焦がれなどはしない。そんな無駄なことは。ただ。
あぁ。
仙蔵は苦い思いを噛みしめていた。文次郎は、あぁ、と一言呟いたきりだった。
「男に二言があるとはな、くらいは言うかと思ったよ。」
「嘘をつけ。言いやしないと分かっているくせに。」
「・・・・言って欲しかっただけかもな。」
「それでも言ってやれねェよ。」
「分かっている。」
お前もだろう、と仙蔵が言うと、文次郎は小さく息を吐き、見えもしない月を仰いだ。その行為にどれほどの意味があるのか、おおよそ分かるのは世界がどんなに広くてどれほどの人がいようとも仙蔵一人である。仙蔵も、文次郎に倣って見えない月を見遣る。

月も風もない夜のことだった。
お前が生きているから、私は生きているようなものだと、言ったあの日に迷いはなかった。
お前が私を生かしていると、ならば、私の命はお前のためにあると、月も星も雲が覆い隠したあの夜。あのときの仙蔵には後ろめたさなど微塵も無かった。
ならば、俺も同じだろうと、笑った文次郎もそれは同じで。まさか、あの言葉を撤回する日が来ようとは予想だにしなかった。浅ましいことでもある。だが、そう言った事自体に対する後悔は、今とて一砂塵もない。
学園を卒業して、仙蔵は城仕えの忍者となった。文次郎がどうかは、仙蔵は知らない。逆もまた然りである。いくら級友といえども、味方以外に情報を流すなど、忍者として最もしてはならぬことであった。ただ、文次郎の性格からして、フリーではなく城仕えなのではないかと、漠然と予測していた。
城仕え。一人の城主が仙蔵を金で雇っている。忍者は、基本、金で動くものだ。侍とは忠義の本質が全く異なる。事実、なんの忠誠も誓わず、ただ金のみで城に仕える忍者も少なくない。それになんら問題はない。仙蔵とて、それでよいと思っていた。ただ、結局自分が仕えると決めた城の主は、忠義を誓うに値するものが、仙蔵にとってあったのだった。
その城主のために自らの命をあるとしたことに、仙蔵は後悔していない。
「確かに俺だって同じだ。」
文次郎の言葉。夜の空気はひんやりとしている。指先が冷える。それでも、何一つ間違いはないと、仙蔵はそう言い切る自信があった。
「なぁ、」
「でもな、文次郎。」
文次郎の言葉を遮って、仙蔵は言う。その表情は、優しく微笑んでいた。
あぁ。文次郎は返事をしては、同様に微笑む。
「俺だって同じだ。俺の命はお前のためにはねェよ。なぁ、でもな、仙蔵。それでも俺は愛しているよ。」
「・・・流石は、潮江文次郎。なんでもお見通しだな。」
微笑った目が合う。その時、仙蔵と文次郎の二人に溢れる愛おしさだけは、あの日と何ら変わりはなかった。
会ってしまった、などという後ろめたさは、もう無くなっていた。
「愛しているよ、文次郎。」
月も風もない夜のことだった。





割れないシャボン