「やはりこれが一番迷うな。」

片づけをしていた手を止めてそう呟いたのは仙蔵だった。
太陽はもう随分と高くまでのぼっていて、俺と仙蔵のいるこの部屋に、春の柔らかい光が差し込む。日常、というこの景色も、見ることが叶うのはもうあとほんの少しなのだと思うと、言い様もない切なさが胸を襲うのは、恐らく俺だけじゃないんだろう。明日。明日で卒業だ。
これ、と仙蔵の手の中にあるものは、忍たまの友だ。六年間使い続け、相当くたびれている。
学び舎、学園の長屋であるため、もともと私物はそれほど多いものでもないのだが、出てくるものにいちいち思い出があり、その思い出話に花を咲かせ、また感慨深くなっているのが、この作業を遅らせているわけだが、この懐に入るほどの(忍たまが実習にも持っていけるように、なので当然なのだが)この冊子には、頁を捲るたびに、いくらでも思い出がある。多くは、そこに記されている術を使った時の実習や授業などのことだ。
「忍たまの友、か。確かに、どうするべきか。」
「小平太のように持ち続けようとするワケにもいかんしなぁ?」
くすり、と仙蔵が笑う。そういえば一年の最初は、こいつ、本気で人を見下した笑いしかしなかったな。
今でも仙蔵とはたびたび喧嘩はするが、初めはもっとお互いにいがみ合っての喧嘩だった。いつからだっただろうか。互いに最も信頼のおける相手となったのは。決して自惚れではなく。ましてや、恋仲など、思いもよらぬことだっただろう。
「小平太ぁ?」
「ああ。墨でな、たま、を消して横に、者、と書いてな。」
自分の忍たまの友に指をさしながら、示す。その指は白く細く随分と綺麗で。仙蔵が宝禄火矢の練習に目覚めてこの指先によく火傷を作っていたのは、二年の頃だったか。
傷は癒える。当たり前のことなのだが。
「・・・・・・忍者の友、」
いささか無理がなかろうか。苦笑と呆れが一気に来て複雑だが、仙蔵に、あいつらしいだろう、の一言で片づけられた。
あぁ、確かに、あいつらしい。
作業が滞ると分かっていながらも、ぱらぱらと忍たまの友の頁を捲っていく。
いたる頁に授業のメモや落書きがあった。隣で同様に頁をめくり始めた仙蔵の忍たまの友も、恐らくそうなのだろう。一つ一つに目がとまる。片づけは遅くなるが、まぁ十分今日中には終えてろ組やは組を冷やかしに行く予定だったので、このくらいなら問題ないだろう。

皐月壱日
バレーボールが3つほど失くなったらしくて留三郎の機嫌がものすごく悪い!なんで私がキレられなくてはならないんだー!

お前がどっかにやったんだろうがっ!!

小平太と留三郎の字だ。覚えている、四年の時だ。なぜ俺のに書く!と怒鳴った記憶もある。
もちろん俺自身の落書きもあって、それはたとえば、腹が減った、だのひどくどうでもいいことが多かった。
「ん?」
あらかた頁を見ていくと、この頁にこんな落書きあっただろうか、というものがひとつだけあった。

馬鹿者

神経質で繊細な字は、恐らく自分の字の次に見慣れた字、仙蔵のものだった。
しかも、最近見た字と全く変わらないということは、最近書いたということだろう。
「仙蔵、お前、これいつ書いた?」
「今朝。」
よりによって、何故、馬鹿者、なんだ。いや分かってはいるが、仙蔵が最初に俺の忍たまの友に落書きした言葉が、馬鹿者、で、俺の忍たまの友が初めて他社によって落書きされたのも、仙蔵の書いた、馬鹿者、だった。
ちなみに、仙蔵が最初に書いたあの頁は、この忍たまの友にはもうない。六年使った忍たまの友だ。どこかしらの頁が欠けているのは至極自然のことだった。俺たち六人、欠けた頁がそれぞれいくらかある。俺の無い頁のひとつがそれだった。
「それしか思い浮かばんくてなぁ。」
「ばかたれぃ」
そう言うと、文次郎のくせに、などと言ったが、その顔は随分と楽しそうだった。
「だが、全く同じ字では書けなかった。」
「当り前だろ。もう何年も経ってるんだ。変わって当然だろう。」
「変わって当然、か。」
仙蔵はそのまま後ろに倒れて、ぱさり、くの一も羨む自慢の黒髪が透明な音をたてて床に広がる。
そんな仙蔵を横目で見ながら、結局どうするべきか結論の出ぬまま忍たまの友を閉じて机の上に放った。
「安心しろ、前も未来も、変らんものもある。」
「あー、お前の暑苦しさと隈か。」
「殴るぞ。」
ろ組やは組の方にはどうやら顔を出せそうにない。いや、一応自分たちの片付けが終わったら、は組には顔を出してやろう。伊作の不運の被害であそこが一番難航するはずだ。その後にはおそらく小平太と長次もやってきて酒盛りでもすることになるのだろう。
「ならば文次郎。お前はいつまで私を想う?」
少し、驚いた。何を言い出すかと思えば。
何かを憂えていたのは明白だったが、まさかだ。まさか、これとは。
「変な心配してんじゃねーよ。」
仙蔵の床に広がる髪を何とはなしに梳かす俺の指を、仙蔵は横目で見ている。
「答えろ。」
「・・・・・保証もない俺の命がある限りは、恋うているよ。」
仙蔵は首を動かしてこちらを見て、いつものこいつらしいサディスティックな笑みを浮かべた。

「せめて愛していると言え、馬鹿者。」




忍たまの友