「サスケは賢い子だから、」
穏やかな声が降ってくる。
顔は見えないけれど、きっと情けない顔をしている。いつだってそうだ。わざわざ表情を隠すような真似をするときは、いつだって。俺の視界を覆うように抱き締める。
普段、幸村は、抱き締める行為のことを、ぎゅーっとする、なんて言ってるけど、こういうときばかり、宝物を慈しむかのように優しい。なんだそれ、って思うよ。
なんて言えばいいのか分からないんだけど、じわじわと胸に沁みていく感情の名前。言葉が足りていたら、言葉に全てをすることができたのなら、もっと楽に生きていけるのか。もっと確実に、誰かを安心させてやることができるのか。幸村や小助がいつも真っ直ぐな言葉を俺に与えてくれるみたいに。………なんていうのは、絶対口にはしないのだけれど。
言葉だなんて、少なくても、飽和していても、結局は言葉足らずで不自由な思いをするだけで、その匙加減がいつになったら出来るようになるのか分かりやしない。俺はただ与えられる温度を受け取りながら、才蔵はそれが出来てないんだろうな、なんて考えて。
そして、この感情がかなしい。けど、かなしいだけじゃあ、なくて。この感覚を俺は確かにいつか感じたことがあるのだけれど、それがいつだったのか、思い出せない。
忘れるって辛いな。そう、俺に言ったのが誰だったかはちゃんと覚えている。変で下品な得体の知れない、強くて強かな女。そうだ、忘れるものが多い。全ての記憶を零すことなく覚えていられるなら、俺はきっと、幸村の言葉をずっと抱いているんじゃないかと、そう、思った。

「サスケは賢い子だから、いつか泣いてしまうんじゃないかと、思ったんだよ、」

馬鹿か。と思った。思ったから、言った。
何が、泣いてしまう、だよ。もう幼い子供じゃあ、あるまいし。
そもそも今俺が泣いたらお前、分かるだろう、幸村。今涙なんて流したらお前の着物が濡れるから。と、これは言わない。凛、と月の光が降ってくる。
月の似合う人だった。
嘗て一度そう言ったことがある。誇らしげな黄金の月。
(それってすごい口説き文句だと思わない?)
(………何言ってんだ馬鹿。)
(えー、照れることないじゃないのぉ。でもね、サスケ、白銀の月はあまり似合わないと思わない?)
(幸村………?)
そして今夜、白銀の月が今の俺には見えやしない空で輝いている。
幸村が自分に似合わないと言った月。それの真意を推し量ることができなくて、言葉の裏を悟ってやれないのは、普段の俺が言葉をぞんざいに扱っているからなんだろうか。そんなん、言ったってきりないことだろうけど。それでも、少しだけ悔しい。少しだけな。
「誰が泣くか。誰が。」
愛おしい。愛おしい。
そう言われてるみたいだった。
真田幸村。この男は守り手だ。あまりにもたくさんの者を守ろうとする。幸村はこれもまた悔しいことに俺よりずっと強いのだけど、それにしたって、その両手のキャパシティを越えている、と思うよ。俺には幸村一人だって余している、のに。それでも、そんな馬鹿な男を何に代えても守ろうとする人間が、少なくとも俺を含めて十人はいる。
正直、いつだっていっぱいいっぱいなくせに、涼しい顔して擦り抜けて、へらへらと笑う。だから、別に構わないんだよ。後ろを振り向いてくれなくとも手を差し伸べたりしなくとも。一度取ったその手が信じられないくらいあたたかいことは、もう知っているから。それなのに、たまにいたづらに歩みを緩めるその真意を、知っているから歯痒くて仕方ない。
あー、あー、あー、と、俺は自分より二十五も年上の主にむかってまるで幼子をあやしているような気分になる。
「お前は大丈夫なのかよ。」
「やだなぁ、サスケ。何言ってるの。ぼくもういいおじさんだよ?」
「幸村。」
「ね?」
「幸村。」
幸村に樹海で拾われて、はじめて社会を見て、大人になるのは不自由なことだと思ったのを思い出した。
背負うものばかりが増えて、そのくせ子供を甘やかす。だったらその昇華されるところはどこだ。上っ面をひっぺがしてやりたかった。
仕方のないヤツだと、思う。
俺が負けず嫌いなのも強情なのも、まあ、自覚はあるけど、それってこいつの影響だってあるに違いない。
目の前にある幸村の上体を押しのけた。
ここで久しぶりに見た幸村の顔が本当に情けない表情をしていた。
真っ直ぐに、幸村の黒い瞳を見る。濡れ鴉色の瞳と髪。その色に憧れた。
銀の髪も金の眼も、人あらざる者の集う樹海や、壬生一族なんかでは、別に気にすることもなかったが、やっぱり普通の人から見れば、おかしな色なのだ。この九度山より外では、どうしたって浮いてしまう。
数秒後に、幸村は降参と言うように両手を軽くあげた。
「君は本当に恐ろしい子。」
幸村がくすりくすりと笑う。
「君にはいつも嘘の一つ吐けやしないんだから。大切な家族じゃなかったら、嘘の一つ出来ないなんて、とても耐えれたものじゃないのに。」
そう、俺に嘘一つ吐くことを許さないやつが言う。白々しい。
「サスケでよかったよ。」
もし、忘れずにいられるなら、俺は、幸村の言葉を抱いているんじゃないかと、思った。
忘れたらいずれなかったことになってしまうのならば、惜しい。
何一つだって取り零さずにいられたら、よかった。
「きみがすき」
真っ直ぐな言葉に、正しく返せたら、よかった。
まだ遅くないだろうか。これから一つずつ正していっても間に合うだろうか。
いい子、そう言って頭を撫でられる。いつまでも子供みたいに扱いやがる。もう子供では、いられないのに。
「大丈夫だよ、大丈夫」
そう言って幸村の手に触れた。あたたかい。この人は本当にあたたかい。
どんな形であれ、俺にできるのなら、幸村を安心させてやりたかったし、どこまでも信じて隣にいたい。多分に、俺に出来うることなんて、それくらいで、だったら、その限りに於いて言葉の代わりに返せるものを全て、返したい。それくらいには、愛していた。
サスケ、サスケ。名前を呼ばれる。あたたかい。あたたかい。あたたかくて、かなしい。これを何と呼ぶのか。今から記憶に問うたところで、何も分かりやしないのに。
ただ、堪らなかった。仕様がなかった。
「やっと泣いたね、サスケ」
あたたかいのが、温度なのやら声なのやら、この声を抱き締めていたい。そう、思った。
「すき」
確かに、この時、俺は泣いていて、それでしか伝えていけないものがあった事実がもどかしくて仕方がなかった。
空に浮かぶ白銀の月。ちかちかと、星。
俺は朔夜のねーちゃんじゃないから、星を見たって未来なんか分かりやしないけれど、それでも、それでもせめて、果てのない誓いくらいはしていける、と、思った。




貴方の教えた永遠