彼岸の花が、群れとなって風に揺れる。
途端に佐助は田圃の畦道にびっしりとその花が咲き乱れていた光景を思い出す。彼岸のものであるその花が、怒涛のように咲いていたから、いつぞや呑まれてしまうのではないかと思ったのだ。赤い。あぁ、赤いと思ったのだった。


「ここは上田とは随分と違う。」
知ってる、と思った。
「だってここは九度山だもの。」
自分の視線は、山に咲くその花に向けられていたのだが、幸村の目線が同じところにあるのだと思うと、たまらなくなった。堪え難い。やめて、と声にならない目線で訴えるときにはもう、自分の主はどこか遠くを見ていた。そのさきに見据えるものは何か。
今は手にしていない幸村の槍が、燃えてこそいないものの、決して火は消えることなく、燻り続けているのを佐助はしっている。
それをおもったとき、惜しい、とひっそりと思うのだ。口惜しい。
幸村が、やがてその花に手をのばすものだから、思わずその指先を凝視した。
ぽきり、と手折る。
佐助は、仕方のない、と息を吐く。
「旦那、それ、燃やすの?」
尋ねる。
幸村の顔が、存外だ、とでも言うようであったから、違うの、ともう一つ問いかけると、そんなつもりではなかった、と情けない声で返された。そして、ただ懐かしくてな、と幸村は付け足した。
「ふうん、」
「畦に咲いていた花が赤くて綺麗だったものだから、いつぞやこうして手折って持って帰ったことがあった。」
幼いころの話をするとき、決まって幸村は目の前の相手を直視しない。どこか遠くを見るのだ。その先にあるものは自分は見れないと、佐助は代わりに真直ぐに幸村を見た。
「母上に見せたくて。ただ、兄上に叱られた。」
毒があるのだと。
軽く目を伏せた幸村を、佐助は叱らない。赤い。あんたが燃やすのはそんなもんじゃないだろうと思った。
「ねぇ、旦那。あんたこの先に何が見える?」
「秋が過ぎれば冬が来るだろう。ただ、俺は秋のうちに焼き芋を食いたい。」
「何それ。」
馬鹿じゃないの、と佐助は笑う。彼岸の花を手折った幸村に、佐助は何も言わなかった。赤いな。赤い、と口の中で転がす。眼を伏せる。その眼裏に映る炎を追う。旦那、あんたまだ消えてないよ。炎、燃えたままだよ、よっぽどそう叫ぶように言ってやろうかと思った。あの火が消えてしまうと、自分はもう武器を振るえない。それは困るなァ、と思う。
「そうだ、焼き芋だ。佐助、芋をとってこい。」
幸村に名前を呼ばれると、自分に名前があることを思い出す。木が繁っていて、その先は見えない。戦火が美しいと錯覚する距離を越して、雄叫びの届かない山の中に今自分はいる。
えー、と反抗する。
「旦那、おれ、忍なんだけど。真田の忍だからここにいるんだけど。」
「知っている。」
「じゃあ、なんでそういうこと言うの。」
「構わぬだろう。」
酷い主だ、と佐助は見えない戦火を見遣る。焚火の炎のほうが、戦火よりもよっぽどいいと、確かに昔誰かが言っていたのだったが、佐助にしてみれば、戦火の方がよっぽど流れがあって楽だった。息の仕方を知っている。
いっそ、その花を燃やしてしまおうかと、雑念すら届かない場所が恋しくなる。寂光。玉響。別に、そうであることが道理なわけじゃない。だからといって、理不尽ではない。
風。吹くと同時に、また彼岸の花が不規則に揺れる。そのときはっとするほど鮮やかな色をした枯葉がはらりはらりと落ちてくるのを佐助はよしとした。
赤い。
「まだ、秋終わらないよ。」
だからまたね。ぽつりぽつりと呟く声が、自分のものだと安堵する。眩しいな、と思って眼を伏せる。まだ秋は終わらない。いつまでこのはっとする赤さの中で生きていなくてはいけないのだろう。そう漠然と思っていた。
佐助は錆びぬように、手入れをして持っている苦無を、何も言わずに投げた。
鋭い音を立てて木に突き刺さったそれを見て、幸村が鼻で笑った。
「ばかめ」
「旦那には言われたくない。」
もどかしい。あんただって口惜しいくせに、と佐助が幸村に向かって吐き捨てるように言うと、幸村はまた鼻を鳴らして遠くを見た。九度目の秋の話だった。
幸村には、そう言った佐助の目が、僅かに赤いのを知っていた。


結局佐助はそれ以来、頻繁に火を焚いては、芋やら木の実やらを勝手に焼いて勝手に食っていた。
「燃やすとね、」
火が見れるから、と佐助は無垢な表情で言った。これは元来、火を好む生き物だ。
「俺にも寄越せ。」
いつかの戦場で、己の炎越しに見た佐助の顔が、心底安堵していたのを、幸村は思い出す。
そうしてこの忍びが言うように、いつか来るであろう炎へ身を投じる日を見ようとした。
「だから、あんたのその炎に燃やされるまで、どうか、」
忍が、言った。







彼岸の華