あれは、人を愛する為に生きている。


草木の萌える香りを嗅いで、雷蔵は後ろを振り向かない。
雷蔵が振り向かない先の人物は、雷蔵の背を見たまま微笑んでいる。背中にその、鉢屋三郎の微笑む気配を感じているから、雷蔵は決して振り向くまいと自分に言い聞かせる。
三郎のその表情は、恐らく雷蔵が一等好きな、穏やかで優しい慈愛に満ちた ほほえみ 。
「雷蔵、愛しているよ。」
毎日のように三郎が囁くその愛の言葉。彼の心に灯る感情が本当に恋情のそれと相違のないものなのか、それとも、もっと意味の広い愛情なのか、そんなことはもう、雷蔵にはどうでもよい。
三郎が、自分を、あいしている。
その事実だけで飽和する心。幸せで、しあわせで、これ以上ないと思えるのに、幸せを感じる自分に酷く後ろめたくなる。
三郎は、愛する為に愛している。
「さぶろう、」
僕も君を。そうして紡ごうとしたアイシテルは昨日も今日も、恐らくは明日も明後日も、音にはならずに喉にへばりついて離れない。
雷蔵は紛れもない三郎を愛している。
けれど雷蔵は紛れもなく、愛されるために愛している。
彼に愛されたいのは、彼を愛しているからだなんて、言い訳でしかない。或いは本当に愛しているから愛されたいのだとしても、愛されるために愛している。
「ね、らいぞう、」
ひどく切なくなってくるのに、涙は流れない。唾を飲み込む。涙が喉へ流れ込んだみたいに。
それでも雷蔵の名前を呼んで、三郎は穏やかな微笑みを浮かべる。雷蔵の顔で。
他人の貌で生きているこの人は、あまりに人に依って生きている。だから、雷蔵は、知っている。この人はきっと、死ぬまで人を愛している。その指先に通う血が温度を失くすまで、自分以外の誰かを愛して、愛する為に愛し続けて生きて死ぬ。
「三郎は、僕を、愛しているの?」
自分一人で生きていけないのは、誰もが同じなのに。
叫びたくなる。けれど、声が出なくなる。
風が吹く。雲が流れて草木が萌えて、陽の光が空からふわふわと降りてくる。誰に見透かされることもない雷蔵の心の内側以外は、これ以上ないほど穏やかな日。聞こえてくる穏やかな声の持ち主の浮かべる、綺麗なやさしい微笑み。
どれもが、いや、自分が場違いなことを悔いているわけではないのに。
「うん、そうだよ、」
なのにどうして苦しくなるんだ。



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