欲求というものを、果たしてどう定義したらよいのか。そうだ、欲するものなど、果てもない。人間というのは欲深い生き物で、罪深い生き物で、だけれども、欲深いことは罪深いことじゃあ決してない。ただ、しかたがないのだ。きっと一から十まで欲しくなる。それは、不安だからかも知れない。欠如が怖いのだ。自分に足りない何か、自分が不完全な存在として成り立っているその曖昧さ。その欠如が、生きていくうちに、いつどこで仇となるかなんて分かったもんじゃない。だから怖くて仕方ないんだろう。だから欲してしまうのだろう。全てが、そうだ、全てあればよい。そうしたら欠如なんてなくなるのだから。
でも、この世の全てが欲しいものではない。きっといずれかは、なくても一生支障もないものだってあるに違いない。だから、全部欲しいが、すべて必要なわけじゃない。私の欲するものも、全てが必要とは限らない。だからだ。ある程度、欲するものに区切りをつける。そのうえでそれを欲しているものと定義したときに欲求というものがいやに現実的な響きに変わる。
つまるところだ。全てを欲していいわけじゃない。本当に欲しいものだけを定めなくては。それだけを願えばよいのだろう。そうすれば、手に入れることが叶わなくても、それは私の欲したものとして意味を成す。その事実、は、とても傲慢なことかもしれない。しかし、構いやしないさ。人間は、罪深い生き物だ。とても、とても。
だから私も限ってしまおう。私は、たったひとつ、欲しいものがある。渇望とでも言おうか。それだけを欲求としてしまえば、あとは極めて簡単な話だった。







「お前が命を落としたら、その命が欲しい。」
「何を言っているんだ、お前は。」
私の呟きに、文次郎は訝しげな表情でそう言った。何を聞き返す。私の言葉に、他意はない。そのままだ。そのまま、述べた通りの言葉を理解してくれたらそれだけでいいのに。どこからか透明な風が、私と文次郎の間を通り抜ける。僅かな距離を強調させているようだった。
いずれお前が死ぬ時は、そのお前が落とした命が欲しい。生きること。重いこと。生なんていらないし死なんていらない。それはどうして私には重すぎてしまうから。他人のそれらまで背負えるほど、わたしに余裕なんてないのだから。お前の想いだってきっと私には大きすぎてしまう。過ぎたるを望みはしない。だから、文次郎、お前がいずれ死んだときに、お前のその命が欲しいと言っているんだ。
「そのままだ。詮索などする必要はない。」
「失くす命をどうあげれるという。」
「知るか、そんなもの。」
喉が渇いた。無償の約束を、してほしかった。欲しいもの、いらないもの、全てが曖昧で。分かっているよ、それを私が手に入れる術がないことくらいは。だけれども、それしか欲しいものがないのだからしかたがない。受け入れてほしい、受け入れてくれなくて構わない。欲しいのだ。それならば、幾らでも待てる。手に入れることができるなら。
私のために生きろだなんて言わない。私のために死ねだなんて言わない。ただ、死んだらその命を、私にくれはしないかと、そう思っただけで、そう思っただけなのに、どうして術がないというのだろう。あてもない。それでも、風ばかりが二人の間を愛おしそうに流れていく。距離を慈しむ風は赤い青い黒い黄色いあくまでも透明。
もどかしい。ゆっくりとしか流れない時間がもどかしい。明日になれば、この会話がなかったことになってしまうのか。そんな、それは。嘘をつくのは苦手じゃない。どんな事実も塗り固めていったって構わない。だけれど、どれほど嘘で周りを固めたところで、その最奥にあるものは変わらない。命が欲しい。色が亡くなってからでいい。私に触れるその指先の温もりが冷え切ってからで構わないから、私にくれてあげて。その時この頬を撫でる風に幾許か色がつくのだろう。先もない未来の話だったか、それは、今に囚われた夢なのか。
「やれるものならばくれてやるよ、仙蔵。」
目をつむって、風を想う色を想う、たった一人の、全てを想う、その瞬間にいかに自分が欲深く罪深い人間だったか思い知る。風を震わせて声として私の耳にそれを届けたお前の、その、命の先を、私にくれてほしいんだ。






本当は、一から十まで欲しくなる。だけれども、それをひとつに限ってしまおう。私の欲しいものは、たったひとつで十分だ。それだけを欲求としてしまえば、あとは極めて簡単な話だった。