「お前が好きだよ」
悪い夢でも見ているのかと、思った。
どの口がそれを言う。
八左ヱ門の真直ぐな瞳が三郎をとらえた。噫、逃げ出してしまいたい。三郎は口を開いて息をした。言葉が告げない。苦い。
この目が苦手だ。何を考えているのやら。
竹谷八左ヱ門という男を認識すること自体がそもそも三郎にとっては無理なことであったのだ。
三郎にとって。
八左ヱ門は一人の人間である以上に、一つの現象であった。
不思議でならない。本質まで踏み込む勇気など、三郎には到底持ちえないものであったし、踏み込みたいと思うような現象ではなかった。
三郎に、雷蔵に、兵助に、勘右衛門に、屈託なく笑いかける。後輩にも優しく接し、誰にでも基本的には愛想がよい。来るものは拒みはしなかったし、逆に去るものを追うようなこともしなかった。
周りをそのままに受け入れるのに、寧ろそれ故に確立していく肥大した自我。
誰にでも近いからこそ、誰からも遠ざかる。それで一体何が守れるというのだと、三郎には解しがたくて解しがたくてしかたがない。
そして、遠くから見る限りにおいて、それはあまりにも穏やかな現象だ。
当然、三郎はその現象に触れるべきではないと認識していたし、更に言えば理解など、したくもないものであったのだった。その限りにおいて、八左ヱ門は三郎にとって無害、ときに有益ともなる存在。
だからこそ、そのままでいいと思っていたのだ。
ヒトの輪郭を纏った、人間で括れない輪郭の、そこにある現象。その現象の最奥にある本質など、見抜けるはずもない。見抜ける、そんな、はずも。
認識があくまで個人の問題だとするのならば、八左ヱ門を現象とし、一つの輪郭を奪ったのはあくまでも三郎だ。そうして三郎は八左ヱ門を現象と認識するとき、自分がどうしようもないほどに人間だとも感じていた。
その現象に触れるようであれば、きっと容易く呑まれてしまうだろうし、その覚悟を決める必要もないと思っていた。
それなのに。
何処をどう間違えればこうなってしまったのだろうか。
今三郎にとってこの至近距離に存在する一つの現象が、急に一つの人間としての輪郭を形成しだしている。
遠くから眺めるだけの減少であれば、穏やかだった。それは不干渉だからだ。
それなのに、こんな形で裏切られる羽目になろうとは。
「・・・三郎?」
「・・・・だから、私は、」
お前が好きだよ、と先程の言葉を繰り返す。
泣きたいほどに、穏やかなのは、こっちだった。
あんまりにも不思議なほどに穏やかで、三郎は心の奥底で慄いてはいた。
近くにいながら、手を伸ばすことはできなかった。形を、持っていたらどうしようか。いや、形ならあるに決まっている。知っていることが多すぎたことを、三郎は今更ながらに悔いている。
八左ヱ門にとって、三郎自身がただの現象となることは、決してあり得ないと知っていた。いや、三郎だけでない。全ての者の、無意識の内だろうか、本質を見抜く目だと知っていた。射抜かれる、視線の先に、見えないものを見る。
こんなつもりではなかったのに。
「無理を」
しなくてもいいと、そう言って笑った。
噫!だからどうしてそれを知っている!
八左ヱ門の人としての輪郭を自分の認識から奪ったのは三郎であったし、またそれを今になって、一人の人間としての形に認識しなおそうと勝手に戸惑っているのも、三郎だ。
慈しんだのだ。拒否をもってして慈しんだ。
その結果だと、認めてしまうことが随分と難しかった。それを、どうして、知って、いる。
いっそここで嫌いだと喚いてしまった方が楽だったのか。今更になって思考したところで、栓のないことだ。
「三郎、」「なァ、お前が一番俺を見ないふりするから、」
その目が苦手だ。
八左ヱ門が周りからの刺激をそのままに受け止めて、その延長に肥大した自我を持ったのを見ていた。
それに対して三郎は、自我を護るために、周りから距離を置くことの方がずっと楽だと(三郎にとって)知っていたし、それをさも当然のように行ってきた。
「本当に慈しんだのは、俺だよ」
だから、八左ヱ門の本質に敢えて蓋をすることで現象として認識を留めていたのに。こんな形で裏切る羽目になるとは思わなかった。
拒否をもってして、慈しんできたのだ。


イノセント