走って走って追いかけていたんだと思う。
私の手は冷たかった。

冷たい水の中だったかもしれないし灼熱の炎の中だったのかもしれない。
ただずっとずっと前も見えぬまま見ぬまま分からぬまま走り続けていた。
なにをそんなに急いているんですかと途中聞き覚えのある高い声が聞いてきた気がするが、それには、ちょっとね、なんて言ってはっきりと答えを口に出すことはしなかった。兵太夫もいつか分かる日がくるよ。それだけ言った。走った。

どこへ向かうおつもりですか。少し強気な口調で尋ねる声は、しかし責むようなことはしなかった。私は、どこだろうね、なんて笑いながら走る、走る。道があるのかもしれないし、ないのかもしれない。足元を見るとただ透明があって足元はうまく見えなかった。透明なのに、邪魔された。ねぇ伝七。私はどこへ向かえばいいんだと思う?逆に問いかけた私に答える声はなかった。いつのまにか世界は白くなっていて、おやまぁ私は道を間違えてしまったのかと思った。行かなくちゃ。でも行かなくちゃいけないところはましろなところじゃあないと思っていたのに。走った。

そっちで本当にあってるんですか?疑う声だ。今私もそれを危惧していたところなのに。だけど、たぶんね、なんて言って私は走る。まだ走る。藤内は心配性だねぇ、と言ったら、だって貴方は、藤内の声。その先はノイズにかき消されてしまった。ざっ、ざー。瞬間世界も反転してどうやら私は落ちているようだった。だけど足は走らせる。しろいあかいあおいきいろいはいいろなそしてくろ、もっともっと落ちて闇色。

お前、道を間違えたんじゃないのか?いつもの呆れるような声。おやまぁ道などありましたでしょうか。ですがどうやら私は間違えなかったようだとその旨を伝えれば、ひとつ笑われて、心外ですと言ったのだけれどその言葉がしっかりと音になったのを私は確認しなかった。走るのをやめた、その瞬間、今まで足を隠していた透明が全部どこかへ消えてしまって私は何もない空間に独り残されてしまってただたくさんの声をできるだけ優しくと思いつつぎゅうっと抱きしめていた。


暗転。




「綾部先輩、綾部先輩。」
「おやまぁ、兵太夫、どうしたの。」
「立花先輩がお菓子を頂いたから、みんなでお茶にしようって。」
「へぇ、立花先輩がいらっしゃるんだ、」
私の言葉に兵太夫は首を傾げていた。だから、いずれ分かるようになるって言ったのに。
立花先輩がいらっしゃるなら、たぶん私は間違えずに走ってこれたんだと思う。
藤内や伝七も先輩のところにいるんでしょう?と聞いたら、肯定の返事が返ってきた。ほら、私はちゃんとたどり着けたではないか。
「だからお前はいつも真っ直ぐここまで来いと言っているのに。」
奥から立花先輩が出てきて私に向ってそういった。昨日の蛸壺3号タコ美ちゃんがどうやら先輩のお気に召さなかったらしい。
綾部先輩、綾部先輩、と藤内と伝七が走ってくる。ねぇ、立花先輩はお厳しい方だよねぇ、そう言ってやると困ったように笑う、笑う。
くしゃりと私の頭を撫でた立花先輩の手も冷えていたので、私は伝七と兵太夫をぎゅっと抱きしめる。と、藤内が私の腕ごと2人を抱きしめるようにして、立花先輩はそんな私を抱きしめていた。
すっと心は温かくなったようだけど、私の手は依然として冷たかった。それでもまぁいいかと思った。




ここは地獄か天国か、