「ねえ、鉢屋、」
頬杖をつきながら普段に比べても格段と遅いペースで委員会の書類を片付ける鉢屋に、名前を投げかけて、後ろからその背中に抱きついた。
五寸ばかり明けてある障子から、白い太陽の光が差し込む。光の速さなんて知ったことではないけれど、それが鉢屋の書類を仕上げる速さよりもずっとゆっくりのような気がした。寒くも暑くもない。ゆっくりと、光だけ。
う、わ、と筆を持ったままの鉢屋が書類を汚すのを間一髪で避けた。勘右衛門、と窘める様な声を聞こえないふりをする。そのまま頭を肩に預けて、その、この部屋にゆっくりと入り込む光を視界に入れないようにして、うつむいたまま、者も言わない自分に、鉢屋は、今度は促す様に優しく、しかし戸惑いを含んだ声音で、名前を投げかける。
「勘右衛門?」
「鉢屋、俺ね、」
鉢屋の背中の、温度。その背中は、自分の温度を感じているだろうか、自分の重さを感じているだろうか。
その重さは、彼にとってどのくらいの重さ。そうして彼にとって自分は、決して軽くない存在だとは断言できる自分はどれくらいの存在にまでなれたのだろうか。思考を巡らす。おおよそ、その結果が分かっていて、それが奇跡のように思われて、嬉しくてうれしくて仕方がない。そうだ、これは、俺にとってなにとも代えがたい幸せ。
だからその背に抱きついたまま、その旨を伝えなくてはならない。
「なあに?」
「鉢屋が世界で三番目に好き。」
きっと素直に好きだと愛していると告げるよりも、重い告白だと思う。俺が本当に言いたいことが、鉢屋に分かれば。
分かってほしい。けれど、分かってくれないのならばそれでいい。天才とまで称される鉢屋の頭が、自分の言葉を汲み取るために回転する。降ってくる光よりも速いはやさで。暑くも寒くもない日に、さして温度を感じない陽の光は、なんだか欠片の様な、粉の様な、何か小さな光のもとを体で受け取っているような気分になる。星屑って言葉があるけれど、それに近い様子で。
全てが白くならないように俺は顔を伏せたままでいる。光を享受する、髪が、白くなったらどうしようかな、なんて、冗談みたいなことを考えて。目を開けて、もしも鉢屋が真白になってたら、思いっきり笑って、ちょっとだけ泣いてあげよう。なんで泣くのか、分からないけど。
三番目に好き、だなんて嘘だ。真っ赤な嘘。本当は、いちばん好き。世界で三番目に好きなのは、鉢屋が、俺を、の話だよ。きっと鉢屋も知っている。知っててそれで、指摘をしたら誤魔化す様に、そして俺を喜ばすために、二番目だって言うに違いない。
「勘右衛門、私は、」
鉢屋にとって何よりも大切なのは、雷蔵で相違ない。
それに何を言うつもりもないし、哀しいだなんて思わない。だって俺は幸せなんだから。
鉢屋が雷蔵に抱くのは、俺に対するような恋情なんかじゃ決してない。だから嫉妬なんて僅かにもしたことはないし、嫌だと思ったこともない。そうして雷蔵の姿である鉢屋自身を、雷蔵の隣にいられるという鉢屋三郎を、鉢屋は雷蔵の次に尊んでいる。
だから、おれは、三番目に鉢屋から愛されているというわけだ。鉢屋は、そうしてきっと俺は二番目だって言う。鉢屋は律義な性格だから、きっと俺が世界で一番鉢屋がすきなんて言ったらきっと俺を一番に好きで気にしてしまうだろうから、言った。世界で三番目に鉢屋が好き。鉢屋が世界で三番目に俺が好きだと言う事実を、気にしてなんて欲しくないくらいに、鉢屋が好き。
体重を預けた背中が、起き上がろうとする。俺が体重をかけるのをやめると、鉢屋が筆をおいて俺に向き直った。
雷蔵とおんなじ顔に、髪に、実はちょっとだけ色の違う瞳。すこしだけその瞳が揺れるのは、戸惑っている時だと知っている。けれど、俺の言った台詞は、鉢屋が安堵こそすれ決して戸惑うものではない。だって鉢屋を許容したんだもの。
戸惑った瞳のまま、鉢屋が俺の肩を掴む。そうして眉を寄せる理由を、知らない、しらない、どうして。
そうして、台詞。
「………私は、お前に一番に好きになってほしいと、今、思ってる。」
知らない展開。
どうしてそんなことを言うのかと思った。一番に愛してはくれないくせに。そうして一番に愛されたら困るくせに。
笑おうと思った。冗談!そう言って、笑ったって、構わない。もしかしたら鉢屋もそれを望んでるかもしれない。冗談にしてしまった方が、ずっと、いい。
それにも関らず、何も言えずに思い切り鉢屋を抱きしめてしまった。嬉しいからじゃ、ない。けれど、哀しいわけでもない。鉢屋が、怖がっているからだ。安心させてあげたかっただけなのに、どうしてうまくいかないんだろう。どうして、鉢屋が怖がっているその変化を、俺は一緒に怖がったり憂えたりしてあげることができないんだろう。
ひっくるめて、そのまま一言、絞り出すのがやっとだった。ごめんね。果たしてその言葉が効果がないことくらい、知っているのに。



白い光に晒された言い訳