「兵助くんって本当に綺麗だよね。」
「兵助くんの髪が綺麗。肌が綺麗。」

そうしてタカ丸は兵助の髪を肌をとても愛おしそうに触れていく。兵助はだまったままタカ丸のしたいようにさせていた。頬に触れた指が思ったよりも暖かかった。
へいすけくん、とタカ丸の口がゆっくりと紡ぐ。年上のくせに酷く間抜けな顔をしていた。しまりがない。間抜け面。兵助は漠然とそれだけを頭の隅で思っていた。
菖蒲の花も終わる頃だろうか。熱くなると思った。これから暑くなると思って、一度自分の長い髪を切ってしまおうかと兵助は思った。それをタカ丸に言った時、普段は締まりのない顔でへらへらと笑っている後輩が血相を変えて反対したのでそれ以来、切ってしまおうとは思わないことにした。軽い思いつきだったのだ。あそこまで反対されてまで切ってしまいたかったわけではない。
それにしても、と兵助は思う。
それにしても、あの時のタカ丸の様子は恐らく数年は忘れないだろう。出会ってから経った年月はまだ短いものではあるが、あれほど必死な彼を見たのはそれが初めてで、また、あれ以来見ていない。当分は見ることもないだろうと思う。あの必死さ。思いだしたら少し可笑しくなった。笑いはしなかったが。
「こんなに髪長いのに、殆ど傷んでないし、睫毛も長いし、肌白いし、ねぇ、」
タカ丸はよく喋る。これが喋らないようになったら、それこそ死んでしまうのではないかと思う。
壊れ物でも扱うかのように優しく優しく触れながら、口では賛美を連ねる。
前に、お豆腐ばかり食べているからそんなに色白いの、と訊かれたことがある。あの時は、なんと返したんだったか。
確か、ばか、とでも云った気がする。よく言うし。そういえば、ハチが、一応年上なのによく言うよなと苦笑していたと、兵助はぼんやりと思いだしていた。年上だろうがなんだろうが、兵助にしてみたら、タカ丸は、締まりのない顔でへらへらと笑う、火薬庫の点検も一人じゃまだろくにできない些か頼りない後輩だ。
さっきから思いだすことが多い。兵助は、目の前の人物をぼんやりと視界に入れるだけ淹れて、過ぎたことを思い出す。
「へいすけくん、ほんとうに、きれいなおひと。」
髪結いの職業は、兵助はあまり知らないが、たくさんの町娘の髪を結い、その人それぞれに見合った綺麗で華やかな櫛や簪を選んで挿す、その職業柄か、綺麗なものが好きなのかと思った。兵助自身は、それが自分に当てはまるのには疑問があったが、それでもタカ丸は何よりも褒め言葉として、綺麗、を用いた。
綺麗、キレイ、きれい、とそればかりをよく耳にする。
ただ、綺麗と口にするときに、時折、タカ丸が目を伏せるのを、兵助は見逃してはいなかった。そして同時にそれを見るのは、兵助にとって存外に悔しいものだった。忍者になるのには、鋭い勘、直感が必要だというのなら、タカ丸はおおよそ忍には向いていないとさえ思った。
綺麗だという。
続く言葉に、大好きがある。知っている。タカ丸はよくそういった類の言葉を口にした。兵助は一度としてそれを拒んだことはない。ただ、応えるようにそれと同類の言葉を口にしたことも一度としてない。そういう時に、大概タカ丸は僅かに目を伏せるのであった。
そうだ。
そう思うと。そう思ったら途端に。
「ぼくは多分、へいすけくんじゃなきゃだめなんだろうな、」
途端に、ムカついた。
悔しいと思った。何で自分が悔しい思いをしなくてはならないのかと思った。そうしたらムカついた。
だから、何か仕返してやろうと思って、タカ丸の胸倉を掴んだ。
へっ、と素っ頓狂な声がする。
そのまま引き寄せて、押しつけるように接吻してやった。
「え、え、」
変に顔を赤くして、見開いた目と半開きの口という、なんとも間抜けな面が目の前にある。さっきからずっと、間抜けな顔だと思っていたが、今の方がその何倍も。目も当てられない状態だと思った。
いいザマだ。いい気味だ、と兵助は小さく笑った。
「ばーか。」
言ってやった。やってやった。ばーか。タカ丸の表情が更に困惑しているのを見ると、兵助は満足そうに立ち上がって、その間抜け面を放置して立ち去った。あの顔は当分忘れないだろう。
「ばーか。」
誰もいない廊下で言ってみた。



過不足ゼロ
お前、自分ばっかり好きだとか思ってんじゃねえよ、ばーか。