夢を見るんだ。

ぽつりと呟く言葉に、俺はただ耳を疑った。どうして、そんな弱弱しい声は、俺が初めて聞く声だった。
このひとは、いつも強気だった、のに。いつだって絶対的な存在感で、俺たちを振り回し、勇気づけて、笑っ、て、そのひとが、いまこうして呟かれた一言。なに、が。俺の知らないところで、このひとはいま何かを考えている。考えて、それを俺に伝えている。

夢を見るんだ。そして次には、「夢を見る夢」を見る。

ぽつり。ぽつり。呟く声が、どうしようもないほどに愛おしくて。
外で、静かに雨が降る音が聞こえる。さー。雨が、屋根に当たる音。俺は、このひとの呟きを逃さないようにするのが必死で。俺も、夢は見ます。夢を見る夢、も、見ます。そう返した声が思ったより震えていた。
このひとは今、どこを見ているんだろう。何を見ているんだろう。それは、俺も見たことの、ある、夢の話、あぁ、

その後に、夢をもう一度思い出す夢を見る。

はい。それも、見たことがあります。見ます。見るんです。俺も。
雨の音が、うるさくないその音を拾い上げる耳が鬱陶しい。
雨は地面を濡らして、明日が晴れたのならば残り香すらなく空へと帰ってしまうくせに。どうして今降らなくっちゃならなかったんだ。別に、いつでもよかったんだろう。どうして今なんだ。どうして。

それでな、夢が覚める夢を見るんだ。

ここからは、俺の知らない話だ。
俺は、ここからは何も言えない。相槌さえも打てなくて、ただ視線をどこにやればいいのか分からなくて彷徨わせる。外へ、襖へ、雨へ、畳へ、どこへ視線をやっても視界のどこかには必ずこのひとはいて、あぁ、それがこのひとの普段持つあの存在感へ直結するものなんだろうと、思った。思って、それで。それ、で、
ぞっとする。これからこのひとが話すことは、俺のしらない世界の話だ。誰が見たのだろう、このひとの見ている世界を。俺は、いずれ、いずれは見るのだろうか。その、夢のみたいな夢でない夢の話を。

そうして、次に、夢を見ようとする夢を見るんだ。

あぁ、何がここまでこのひとを蝕むんだろう。
俺に話すこのひとの、指先が、足が、顔が、腕が、それこそ、頭の先から足の先まで全てが、いつも俺が認識する人とは全然違う、よう、で、何もかもが一緒な事実に慄然とする。
そんなにいそいではなさなくても。
どんなに長くなっても、俺は聞くのに。どうしたって、今、声帯を震わせることすらできない俺は、貴方が話し終わるまで微塵にも動けないのだから。
それでな。と、続ける声。
その先を、聞きたくなかった。聞いてはいけない。その先は、聞かない方がきっといい。分かっているのに。分かってはいるのに。俺がまだ見ていない世界を、いずれ見る世界を。どうすることもできない秩序だとしても、そこにある差を、埋められないのならばせめて、それをこんな風に話はしないでほしかった。どこかで勘違いしてたんだろう、俺は。
この世界には、誰であっても、敵わないものがあるに違いない。

そうして、終には。

そこまで聞いて、俺は思わず立ち上がってしまった。勢いよく。
だけど、そしてみた、七松小平太という人の顔は、一瞬驚いた風な表情をしたけれども、すぐに穏やかな顔で笑って。笑っ、て、そう、この笑い方も初めて見る。こんな顔でわらうこのひとを、俺はかつてみたこともない。
いつもの豪快さなんてぜんぶどこかにおきわすれてしまったかのように、繊細に目を少し伏せて、やはりその視線はどこに向けられているのか、分からないまま。雨のせいで、不明瞭な外の、空気の、この、見慣れた学園の景色の、今こんなに儚く見えてしまったのは、まさか。まさかこれが。

そうして終には夢が覚めるんだよ、三之助。

これがあなたのみているものだとでも仰るのですか!
俺はまだここにいる。まだ、まだ夢を見て、夢を見る夢を見て、その夢を思い出して、その先はまだないけれど。
だけれども、このひとは、七松先輩は、もう、終に覚めてしまう夢までも見てしまった。
それは、いずれ俺も思い知る話だった。

「七松先輩の夢は、もう覚めてしまわれるのですか、」
「あぁ、そうだよ三之助。私の夢は、思ったよりも、短かったなぁ。」



知らずにあのひとの頬を伝う涙に名前をつけるとしたら、これは、 






夢だ。