「みんなと同じように、死んでしまえるのならば、よかったのに。」
悩みを吐露する少年を、ハーレイはいつかの自分と重ねていた。そうしていつかだれもが自分と違う時間に流されていってしまう。それは、とても怖いことであることを、少なからず自分は知っていた。
そうしておぼろげな記憶の中で自分の頭を撫でてくれた優しい掌、自分の父親はもう生きてはいない。いつか訪れた父親の故郷には、その名の刻まれた古い墓が立っていた。
今にも泣きそうな顔をしてどうしようもないことを、ああ一体どうすればと言いたげに話した少年。生い立ちを聞いた。自分よりもずっとずっと幼い姉弟が苦労しただろう。その言葉では計り知れないくらいに。二人で精いっぱいの温度を共有しながら。できれば、一人ぼっちということをまだ知らないこの少年が、一生孤独を知ることなく生きていってくれたらいいと思っている。あれは、本当に、辛い。今でもそれを思うと孤独に震えそうになる。
ハーフエルフであるこの少年をいとも簡単に受け入れて見せたという、世界の勇者を思い出す。あまりにも無知で、というか、単純馬鹿に見えたのだけれど、確かに意志の強さは、あの鳶色には窺えた。感じのいい奴だったな、と思う。 なるほど、この少年が、あの頃いつ自分がハーフエルフであるとばれてしまうかも分からないという恐怖感を伴ってでも一緒にいたいと願ったのだろうと。その気持ちは、よく分かる。今頃、この少年の姉と歴史文献に没頭しているだろう自分の親友を思い出す。
「そうだろうなァ、」
「ハーレイは、そう、思わないの?」
世界を救う旅を終えた今、姉弟はハーフエルフが少しでも受け入れられるようになるために世界を回るのだという。自分は、卑屈に開き直ってしまったその生まれに、真っ向から立ち向かおうとしているその決意は、正直直視などできないほどに強かった。何もそう、ハーフエルフであることの全てを背負うようなことをしなくても、と思いはしたが、その決意の前には言えなかった。世界を救った彼らなら、とどこかで他力本願に願っていた自分がいることも、知っている。そのくせに、君が自分がハーフエルフであることを隠さないで人間と一緒に生きていたことに、勇気づけられた、だなどと言うものだから、不覚にも泣いてしまった。涙もろいのは自分の性格ではない、と思ってはいるが、いつも一緒にいるあの人のよい兄妹のそれがうつったかもしれねぇな、だなんてひとり誤魔化しながら。
エルフだろうが、ハーフエルフだろうが、ジーニアスはジーニアスだろう。
あの世界の勇者、ロイドはそう言って彼を肯定したらしい。生まれのことを、気にしているのは人間ではなくハーフエルフの方かもしれないと、つくづく思う。さて、自分はどうやって受け入れられたのだったか、思い出すだけで、心が温かくなる。自分を受け入れてくれる人。それが存在していること。それのなんと嬉しいことか。
この町にもう何年も暮らしているけれど、自分を肯定してくれるひとなど、ごくわずかで、その事実が、自分を受け入れてくれる人に出会えた途方もない奇跡に感謝させる。
だから、だから怖いのだろう。自分ばかりが、彼らよりも長く生きていかねばならないこと。
「昔にな。」
そうして口角を持ち上げて見せた。
「なぁでもな、きっと、あいつらだって、俺やお前を残して置いていくことが、きっと怖いんだぜ。」
言葉にはしないけれど。彼らは一人ではないけれど。自分が何を知っているわけではない。ただ、怖いのだろうなぁ、と漠然に思う。
それがいつかずっと鮮やかな形で近づくのだろう。未来はいつも不確定すぎて、恐ろしい。
恐怖というものを、あまりにもあって当然のように受け入れている。それは、幼いこの少年とてそうなのだろう。
分かるだろう?そう言って、いつかの記憶の中の父のように、少年の頭を撫でて見せる。彼は驚いた風な顔を一瞬したけれど、すぐに、子供扱いしないでくれる?と力弱く返した。
「ばーか、」
お前、十分子供じゃねェか。
風が強い。風のよく通るこの町は、それでも時間はゆったりと流れる。そのまま止まっちまえ、と嘗ての自分のようにこの少年も思っているのだろうか。こんなにも心地よい風を受けながら、そんなことばかりを思っているのだろうか。
「あんた、一体いくつなの。」
「90とちょい。」
「・・・・嘘、」
「おいおいおい、俺らに見た目は関係ないはずだろう?」
「中身は、」
「うるせーな。」
怖いか?と聞こうとした。20と少しくらいしか生きていない、少年の姉、それから自分を受け入れてくれたあの兄妹、と見た目的な年齢は、殆ど変わらない。もうそれほどに、20を超えたあたりから、身体の成長というべきか老いというべきか、変化のスピードは驚くほどに緩やかになった。その種の寿命の長さ(といってもエルフよりは短いのだが)を、こうして目にするのが、怖いかと。
「孤独っつー恐怖からな、救われたんだ。」
自分が。
 こそこそと世界に媚を売るくらいだったら、いっそ堂々と何物からも見放されてしまったほうが楽かもしれないと、思った。そうしたら、嫌に生にしがみつこうとするこの意欲もなくなるのだろうか、と。そう思った先に向けられた笑顔を、おそらく自分は生涯忘れないだろうとおもった。自分が、まだこの先人間よりも長い長い寿命を全うしていくのだとしても。何百年も先に、やっと老いきった自分が死ぬときに、あの笑顔に救われたときっと言うに違いない。
「うん、うん。」
同じような感情を抱いているのだろう。孤独とは似て非なる、けれども恐怖から救われたその心。思い描く人物の命は、自分よりもずっと短いからこそ、輝かしく燃えているように思えた。羨ましい。自分と人間の種の違いに、一通り自分を納得させて、気持ちにけりをつけたつもりでいる今でも、そう思わないこともない。
「だから、あいつらが老いる恐怖に追われながら、だけど穏やかに息を引き取るときには、」
ハーレイ、と少年が名を呼ぶ。
「俺が、看取るんだ。ライナーとアイーシャは、俺が看取る。」
高低の差が大きいこの町で、ここからは空が広く見えた。遠い、けれど近い空の先に未来が見えるわけじゃない。少年はしばらく話していた自分の方を見ていたが、やがてその空へ視線を映して何かを考えている風だった。日が暮れる。空が黄昏色に、変わる。


「ハーレイ!ジーニアス!」
そしてしばらくして、透き通った声が聞こえてきた。下の方からだ。見ると、アイーシャが自分たちの方に向かって手を振っていた。
「夕飯の準備ができたわよ。」
夕陽が温かい、と思った。何も言わずに自分と同じようにアイーシャのいるところを見下ろしている少年も、同じことを感じていればいいのだけれど。
「まさか、リフィルにつくらせたりしてないだろうなぁ!」
「リフィルさんと兄さんは、部屋にこもって出てこないのよ、」
かつて、セージ姉弟がこの町に訪れた時、リフィルがもたらした料理の災厄を思い出してそういうと、アイーシャが今の二人の状態を教えてくれた。そうしてまた、遺跡関連になると性格の変わるあの女と、研究となると周りの見えなくなるほど集中してしまう親友を思い出して、溜息を吐いてから今行く、と下り坂へと向かう。
「ジーニアス」
数歩歩いて、立ち止り、さらに振り返って名前を呼んだ。
「お前も、救われたんじゃないのかよ?」
返事を聞くわけでもなく、行こうぜ、と促すと、漸く少年は小走りに此方へと向かってくる。
あぁ、腹が減ったなぁ、と思っていた。


それは、決意