おおよそその瞳が、自分の見知った世界を映す気だなんてさらさらなかったことを、知っている。



名前を呼ぶ声が、あまりに優しくて、その度に私は眩暈がしそうだと思うのだけれど、その実、あの人は驚くほど何者にも囚われずに生きていた。それに気づいたのは、別に、いつだというわけではないのですけれども。立花先輩は、私を慈しむふりをする。本当に慈しむのなら、決して私と目を合わせずに優しく微笑むだなんて芸当をしないでしょう。あくまでも、慈しむ、ふり。それは、私に限ったことではなくて、後輩皆に対することでもあり、同じ六年生にも、似たような感情の、まるで押しつけ、そんな風に接しているのを、少なからず私は見ていた。そうすることで、あの人はここに多くの軛を作ろうとしていた。結果として、その行為があまりにも浮いているものだから、それが軛としての役割を果たしているのか、それを思い知るのは、どうやらまだ先の話になりそうですけれども。
私のほうがよほど常識を逸した人間である自信はあったのに。まさか、あの人が、人を慈しむことを義務として扱う人種だったなんて、これは、予想外でしたの一言しか言えませんが。おかしな話、さして誰も慈しんでいないあの方が、わざわざ自分も周りも全てを欺いてまで何に固執したかったのでしょう。別に、自分をそこに繋げておきたいと願うほど、愛おしいものなどなかったはずですのに。可哀想な人、一言でたとえれば、そんな人。だけれども、私がかわいそうだなどと言うことを先輩は嫌うに違いない。プライドばかりが高い人。哀れだと、正直に思った。思ったけれど、私が先輩の好きなところを挙げるとするのならば、間違いなくそこをあげるだろう。歪な形。私は、完璧なものの方が好き。あの人は、一見してとても完全に見える。そう人に見せる術を知っている。そう、思って、私はまずあの人に興味を抱いたのだけど、先輩のことを知ろうとすればするほど、何かがおかしいと思うようにもなった。違う、と。誰とでも容易に目を合わせておきながら、そこに私、或いは誰かと言う存在が在ることを、認識してはいなかった。もっと、どこか違う世界を見ている人。愛することを知らない人に、愛されることを、私は知らない。
幸せなお人なのだろうと思う。あの人は誰も慈しんだりしていないくせに、愛されることはきちんと知っている。これはあくまで、観測でしかないのですが、流石に、そこまで暗愚な真似を、きっと立花仙蔵という生き物はしません。本当に、自分の見せ方を知っている。そこまで哀れではない、だけど、私の心を惹くくらいには十分に可哀想な人。
完璧なものが好きだと、先輩に向かって言ったことがある。あの人は、そうかと笑いながら、自分もそうだと、私を肯定する意をもった文を、言い聞かせてくれた気がする。そのときの立花先輩の表情が、あまりにも正しい形だったから、私は思わず笑ってしまった。笑って、そして終には泣いて、ぐちゃぐちゃの顔で、ただこの人を愛おしく想う自分になんとか形を与えようとしていた。理由がほしい、と思った。この人がそうして生きていくのに値する理由、慈しむふりをしてまで、今この人に関わるもの全てに固執する理由。私がそうして、先輩、と声をかける理由は、何もわざわざ言うほどのものではない。あぁ、私はこの人の理由になりたい。そう思った。そう思って、泣いた。泣いている私に、優しく触れる温度が、哀しいと思った。どうしてでしょうね。何を憂えているのでしょう。そうしてみれば、何物にも恐れていない風に見えるその生き方は、言いかえれば全てのものに怯えているのと何ら変わりは無くて。立花先輩がそうした自分を形成する過程など、私は知りませんが、せめてその最果てにあるものを見通そうと、私は必死に目を凝らす。
何よりも、優しい人。あまりに何かに固執するから程遠いものだから、あの人は何もかもを見限れない。見捨てれない。取捨選択をしない。だから、あまりにも優しすぎる。それが甘さにはならないのは、その優しさがあまりにも非道だから。そうして確立させていく自身。私の瞳は光を受けたままに反射する鏡ではなくて、その色立ちを見極めようとしている三稜鏡のようなものであると、先輩には告げていない。あの人のそれとはまるで異質。だからきっと分かりやしない。理由になりたいと、私が懇願していることを、きっと悟ってやくれないのでしょう。詭弁だと言われても構わない。滑稽だというのならば、それすら甘んじて受け入れるつもりではあるのに。どうしても、異質の瞳に浮かぶ憂色が優しすぎてとてもとても儚く見えてしまう、脆く見えてしまう。あの人の優しさは強かなものであるのに、弱さ強さとは程遠い次元にあるものなのに。それでも。それ、でも。
私を、慈しんでほしいと、思うのは、あの人の理由になりたいと泣くのと同じなのでしょうか。ただ、あまりにも当たり前の世界を見てこなかったあの人が、果たして人を慈しむことを知ってしまったときに、あまりにも世界が多色に見えることを、受け入れられる保証などどこにもないのに。ぐるぐると、巡る思考。空は生まれた時からずっと見ているのに、空が単一の青でないと気付くのは、あまりにも遅い。それに気づいた時、私は、単純に切ないという気持ちを受け入れていた。切ない。それは、祝福のような、気持ちで、私は空を見上げていたのだけれど。この世界に単色で描かれたものなど何もないと。私は、浮世離れしていると言われるとよく人に言われるけれど、そう意味では、私は割とずっと世界を真直ぐ見てきた方だと、思う。稚い日の柔軟さならば、無垢さならば、世界が単一でないことなんて、別に恐ろしいことでもなんでもない。そして、世界を見ることを知らずに生きてしまっている、あの人は。それを思うと、私にあれほど非道な優しさを惜しみなく向けて、さも慈しんでくれているかのようなあの人に、私はもっと道理なエゴイズムを押し付けようとしているのかもしれない。それでもあの人の理由になりたいと思った。その存在の根底となるもの素敵な世界を形成する、全てのものにそれがあるとは言わないけれど、あの人にとってのそれにあたるものが何もないのならば、せめて私が、と、そう。
触れられたことも、触れたこともある。けれどその触れ合った箇所の温度が同じだったことは嘗て一度もない。その事実が優しくて哀しい。感情に、事象に、あらゆるものに、たとえ意味などなくても、理由はあることを、どうか知ってほしかった。
「立花先輩、」
「そろそろ、見ないふりをするのを、やめにしませんか?」
そうして私の持てる全ての慈悲を以て名前を呼んだ。振り返るその表情が、たとえば泣いていてくれたのならばどれほど救われるだろうか。狂気よりも、楽になれるものが、そこにあることを認めている。そして私が貴方の理由になりたいのだとは言わなかった。私を愛してくれとは言わなかった。それは、私なりの最後の譲歩です。ですから、その最後の砦を、壊す術を貴方しか持っていないことに気付いてくれませんか。



いろづけ