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七松先輩は、目を閉じる癖があった。
先輩の中で一つの意志が定まった時、口を開くより先に僅かな間、ふわりと目を閉じる。それは、蝶が鼻に止まる様に柔らかく優しげなもので、先輩自身が一つの結論に辿り着いたことを形にした象徴のようでもあった。その、動作にしてしまえば本当に小さな癖であったが、それが俺に気付かずにはいられなかったのは、
伏せられた瞼に映る彼の意志が、あんまりにも息をのむほど鮮やかだったからに他ならない。
普段、俺を見つめるときの、瞳。瞳を湖面に譬えるのなら、昼下がりの高く昇った日を精一杯反射したような、光の飽和する水面のようで、強い意志を孕んだ瞳は、それだけで射抜かれてしまいそうだけれど、七松先輩が閉じた瞼に浮かぶ、その鮮やかさは、ずっと遠くて、遠くて、それでも印象的だった。主張ではなく、ただ鮮やかで印象強い。それは、空を横切る蝶々の様。
その瞳が、閉じられるのを見ていた。
「このまま、どこか遠くへ、」
行ってしまおうか?目を開いた七松先輩は、そう言って頬笑み、伏せていた瞼に咲いていた蝶は、俺の視界を右から左、また右へとていらちらと魔法にかけるかのように舞い踊る。
こんな甘美な誘いは無いと、思った。少なくとも、俺にとっては、永遠を誓って愛の下に跪くような言葉よりも甘やかだったのだ。
だから俺は、数秒だけ目を閉じて、真直ぐに七松先輩を見返した。
「いいですね、それ。」