(あ、懐いた)
学園内に迷い込んだのか、見かけた灰色の猫にちょっかいを出していたら、終に猫の方からじゃれてきた。ふてぶてしい猫だった。初めに構ってほしいと言わんばかりにちょっかいを出したのはこっちで、猫の方も最初はうざったいという感じで此方を見ているように感じていたのに、こうして懐くとどうしてか最初から愛らしい生き物だったような錯覚がする。いや、最初は随分とふてぶてしい奴だったぞ、などと自分に言い聞かせつつ、体温を持った毛むくじゃらに手を伸ばす。
「にっ」
抱き上げると短く声を上げた。ガラス玉のような瞳をじいと見つめると、同じように見つめられた。
「お前、寂しかったんだろ。この学園、猫いないしさぁ。」
毒虫ならたくさんいるけど、と隣の学級の毒虫好きを思い出す。そういえば、今日は裏山に虫を捕獲しに行くと昨日の夕食の時に言っていたから、今頃学園にはいないのだろう。作兵衛もいない。委員会で買い出しに行った。左門は気付いたらいなかった。どこかで迷子になっていなきゃいいけど。あいつ、もう三年にもなるのに、方向音痴直らない困った奴だし。藤内と数馬はどこに行ったかな。さっき長屋にはいなかった。どこかに出かけたのか、それとも、どこかですれ違ってしまったか。用はないからいいけど。だからみんないない。だぁれもいない日。
「俺もお前しかいないんだよ、今日。」
なー、なんて同意を求めるように問いかけてみると、にゃ、に濁点が付いたような声を発して猫は手を擦り抜けていく。しっかり手の甲に傷をつけて。地味に痛い。せっかく遊んでやったというのに。
「逃げたな」
「えー、先輩が気配消してきてくれないからじゃないすか。」
やっと懐いたのに、と振り返ると声の主はにやりと笑った。七松小平太先輩。すまんな、なんて口だけで謝っても、大きな声で笑っているから、悪いだなんてこれっぽっちも思っていないとすぐ分かる。
「でも、」
ん?と返事をするように声を出して、何とはなしに頭を撫でられる。それ、聞いてるのか聞いていないのか判断がつかないと前に一度言いはしたが、気にはとめてもらえなかったようだ。
「だぁれもいない日かと思ってたのに、先輩、いたんですか、」
「私も周りみんないないから、夢の中かと思っていたのに、三之助、お前がいたな。」
「なんすか、それ」
「せかいでふたりしかいないみたい」
思い切り吸い込んだ空気は春の匂いがした。