恋文を認めた。
素直、と称されるところの想いを真直ぐに伝えるためだけならば、思いのたけをありのままに書けばよかった。
しかし、私はその単純なことをしなかった。驕った。傲慢になった。気分がよかったのだ。恋文は、こういう書き出しから始まっている。
『かの日で私を愛している人へ』。
生きている以上で最も逆らえない概念が時間の流れだということも分かってはいるが、そのとき私はそれを超えた。未来の私になり済まして、今のこの時の人に文を書いた。
未来の私になり済ましているのか、過去に対して文を書いているのかは、大した問題ではない。未来の私になり済ましているのならば、恋文を書いていた間の私は未来の私であり、どちらにしろ今よりも過去の時間軸にいる相手を想って恋文を認めていたのだ。
想っていたよりもすらすらと筆は進み、未来の私は得意げになる。宛先は、そのときの私、にとっては幼くて未熟な、あたたかい優しい記憶だ。

わざとらしくその文を机の上に広げたまましばらく外出した。見られたくないものは普段、僅かに席を離れるときも見えない状態にするし、伝言なども自分の机の上に置いておくときもあるので、恐らく奴はあれを見るだろうと思ったのだ。
数刻後、自室に戻った時、私の机の前に座っている文次郎を見つけると、意図せず口角が上がった。
「他人の机上の、他人の恋文を勝手に読むのは褒められた行為ではないのではないか?文次郎。」
「・・・・どうせ、わざとだろうが。」
「まあな。」
「それに、俺宛てなのだから問題もないだろう。」
文次郎の背後に背中合わせの形で座り、そのまま体重を預けた。仙?と文次郎が私を問うたが、別に意図があるわけでもないので、答えるべき言葉を持たない私は何も答えない。
私が部屋に戻って来た時は、まだ文次郎はあの文を読み始めたばかりだったのだろうか。文次郎がすぐ後ろで、未だそれと睨めっこをしている。
それから幾らも経たない頃、ふと外を見た先で、まだ青い葉がはらりと一枚落ちたのは何とはなしに視界に入れたとき、文次郎が徐に口を開いて、なァ、これを書いた立花仙蔵殿、と呼びかけた。
「お前、今、幸せか?」
「・・・さぁ、な。それを書いたのは未来の私であって今の私ではない。よって、その手紙を書いた私が幸せかは、私には図りかねるが・・・文次郎、お前はどう思う?」
私の投げかけた問いに文次郎は少し思案して、
「この文が、あまりにも幸せそうに読める。」
ときっぱりとした口調でそう答えた。
「だろうな。」
なんたって、それを書いていた時の私は、未来の自分になり済ますという暗愚な行為を厭としないほどには気分がよかったし、事実、そのとき幸せな気持ちであったのだ。
「ならば、仙、お前は今幸せか?」
そもそも幸せとは。
それを一から定義する問いは一生免除されるものではないが、それを如何様に定義しようとも、今の私はそれに当てはまる自信があった。自惚れだとか、はしゃいでいるとか、表現のしようならば幾らでもあるが、未来の私がそれを覚えているかどうかも、いくらもある可能性の一つの話だ。
「あぁ、勿論だとも。」
「なら、それでいい。十分だ。」
私の答えに、文次郎はそれなりに満足したようだった。つまり、未来の私になり済ましているのか、過去にいる相手を想って書いていたのかは、大した問題ではないと、まあ、そういうことだ。
「仙、お前はどう想う?」
その問いが、私が先程文次郎に問うた、未来の仮定の話だということを認識すると、何に迷うことも躊躇うこともなく、すんなりと答を述べて見せた。
「幸せなんじゃないか?私は。」
「どうしてそう思う?」
「自信があるんだ。」
そーかよ、と若干にあきれた様な声を出した文次郎を聴きながら、ふと、未来の自分になり済まして書いた文の内容をぼんやりと思い出した。そこで、はた、とあることに気付いた。
「時に文次郎。」
「ん?」
「その文、相手の名前は一度として書かれていないだろう?どうしてそれを自分だと思った?」
背中越しに、文次郎が得意げに笑う息が聞こえた。それが私には若干に口惜しく、同時にくすぐったかった。
ずるい。
「自信があるんだよ。」
まだ素直に愛しているとでも言ってくれた方が、こんな恥ずかしい想いはしなかったろうに!





最果ての愛、
2010年、六いの日。